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都立大「フランス語圏の文化」、学生コメントへの返答

最終更新: 2020年12月2日


去る11月16日(月)、母校である首都大学東京(現・東京都立大学)の西山雄二教授にお招きいただき、教養科目「フランス語圏の文化」にてゲスト講師として登壇いたしました。

https://youtu.be/zYjDs-OKQ8M

(こちらにアーカイブが公開されています)


授業には提出課題があり、「講義の感想や語学塾こもれび塾長・志村響への質問、語学について自身が抱える悩みなど」という名目で学生からコメントが集められたのですが、西山先生に「学生の質問・コメントへの返事をこもれびのブログで公開してはどうか」とのご提案をいただいたので、このブログをもって学生のみなさんへの回答とさせていただきます。 


コメントはどれも興味深く、大学一年当時の自分がこの講義を聞いていたとしてもこんな感想は書けないだろう、といったものばかりでした。

一方、どれもオリジナリティーに富んだ意見であったのと同時に「どこかで聞いたことのあるもの」が多かったのもまた事実です。それは取りも直さず、こうした疑問、悩み、葛藤が、あの教室にいた、あるいはzoomを通して講義を聴いてくれていた都立大生に限らず、この国に生まれ、日本語を母語とし、英語をはじめとする外国語とつかず離れずの距離感で付き合ってきた(そうせざるを得なかった)多くの日本人が共通して抱くものだからでしょう。


それでは以下、いくつかの要点を挙げながら、適宜学生さんのコメントを引用しつつ、質問にお答えしていきたいと思います。テーマは多岐に渡り、それに対するお返事は僕の方も「どこかで言ったことのあるもの」になってしまうかもしれません。

とはいえ、中高6年を取り巻く受験英語を愛憎抱えながら乗り越え、人によっては今まさに「他の外国語」と向き合うスタートを切ったばかりの(陳腐な表現ですがこう言ってよければ)新鮮な感想や悩みは、僕にも新たな気付きを与えてくれるものでした。本編に移る前にもう一度、参加してくださった学生のみなさんに感謝申し上げたいと思います。



・英語を学ぶ意味とモチベーション


学生の悩みの中でもやはり多かったのが “英語を学ぶ意味がわからない” といったものでした。

「大学でも必修だし」「具体的な目標はないけれどグローバル社会に通用するために必要なのだろう」といった考え方を意外なほど素朴に受け入れている学生が多くいました。


そしてこれには、自ずと「モチベーションが上がらない」という悩みが噴出してきます。「やらされている」のだから、当然と言えば当然でしょう。『謎の義務感』という表現をしていた学生もいました。

しかし「モチベーションが上がらないけど続けるコツはありますか?」という悩みに対しては、「しょうがないと割り切ってやる」「いっそやめてみる」の二択しかないように思います。


生きていく上でたしかに “どうしてもやらなければならない” ことがあって、英語をその一つに数えるのであれば否応なしにやるしかないし、それはモチベーション以前の問題です。反対に「モチベーションが上がらない」という自分の気持ちに極限まで素直になるなら、(かつての僕がそうしたように)いっそ英語の勉強とは縁を切ってしまうことです。

大学の単位くらい、当座凌ぎでもなんとかなるでしょう。卒業に必要なステップと割り切ってしまえばいいし、「英語が話せない」ことで悩む必要もありません。 


では「話せない」のは日本の教育制度の問題でしょうか?文法に絞った勉強が悪で、闇雲に「話す練習」をすれば解決することなのでしょうか?

たしかに日本の英語教育は間違っても完璧とは言えません。しかし、日本の教育の「せいで」英語に挫折してしまう人が多くいる反面、日本の教育の「おかげで」話せるようになる人もいて、結局のところ「やり方が合っているか合っていないか」の個人差によるものです。

そもそも、(こう言うと元も子もないですが)英語は日本人にとってあまりに難しい言語です。日本語とは文構造も口の動かし方もリズムの仕組みも何もかもが違い、かけ離れています。文化に浸透している分「耳にする機会が多い」というだけの理由で親近感は比較的あり、それがかろうじて英語を話せるような気にさせてくれますが、よくよく考えてみればできなくて当たり前なのです。


英語よりも「とっつきやすい」言語は他にいくらでもあります。難しく思われがちなフランス語も一目で動詞かそうでないかを見分けられるし、韓国語は文字さえ覚えてしまえば文構造も語彙も日本語とよく似ています。英語以外の外国語を勉強してみたことのある方なら、意外なほど整然とした印象を受けるのではないでしょうか。

対して英語は一言で言ってしまえば “カオス” です。様々な系統の言語が混ざり合い、しかしだからこそ広い地域で受容される、複雑さとシンプルさを併せ持つ奇妙な言語です。今となってはほとんど他人事になってしまいましたが、こんな難しい言語を日本人が義務教育でやらなければならないのは、はっきり言って「無理がある」し、「気の毒だ」とさえ思います。


ある学生のコメントに『こんなにも世の中のグローバル化が進行している時代で、外国人も国内に増えているのに英語を話せる人が少ないのは、日本の教育方法に問題がある』という意見がありました。

しかし、僕は逆だと思います。「外国人が国内に増えている」のなら、彼らが日本語を勉強し、話すべきです。同化思想や押しつけではなく、海外からわざわざ日本に来るなら、日本語がわかった方がその人にとって間違いなく豊かな経験になるからです。

だから日本に来た外国人に対して、「英語が話せない」ことで申し訳なさを感じる必要は毛頭ありません。それに、どうしても彼らに応じたい、コミュニケーションを取りたいなら、それこそAIに頼ればいいのです。「ポケトーク」のようなものが今後ますます普及すれば、道を聞かれて答えたり簡単な交流をすることくらい、それ一台あれば造作もないでしょう。


今、僕たちは “大いなる矛盾” を生きています。「コミュニケーションの時代だ」と謳われる一方、その肝心の「コミュニケーション」は技術によって代替されようとしています。これは例えるなら、ショベルカーが発明されつつある真横で「これからは大量建設の時代だ、みんながんばって筋トレをしよう!」と言っているようなものです。重い物を持ち上げるのは機械がやってくれるのだから、わざわざ自分の筋力に頼る必要がないのは一目瞭然です(しかし、今でも筋トレをする人はたくさんいますね。彼らはなぜ筋トレをするのでしょう)。


今回の講義で僕がみなさんにお伝えしたかったのは、「フランス語をやろう」ではもちろんないし、「外国語を勉強しよう」でもありません。外国語を勉強すると、たしかに「いいこと」があります。しかしそれは、少し意地悪な言い方をすれば「やった人にしかわからない」ものです。印象的なコメントがあったので、引用します。


『志村さんの話を聞いて大学に在学中に友人と塾を作ったことやその塾は言語学習に特化したため受験勉強に対応してないこと、フランスでの体験など聞いていて面白かったし、真剣に言語を学んだ人の姿なのだと感じた。そう、感じただけなのだ』


率直な感想だと思いました。この「感じただけなのだ」というのが「やった人」と「これからやる人」の間にある距離を言い表しています。繰り返しますが、外国語を勉強すると「いいこと」があります。でも、それは結果的に、後からわかることです。

何を得られるか、僕もフランス語の勉強を始めた頃は知らなかったし、当時あったのはやる気と興味と「なんとなく続けたい気持ち」だけでした。モチベーションが上がらないと悩んだこともありません。もしそんなことで悩んでいたら、きっとどこかでやめていたことでしょう。


こんなに大変な外国語学習を「いいことからあるからやってみなよ」とみすみす勧めることはできません。だから僕が伝えたかったのは「もし(大変なことも忘れてしまうくらい)興味があるなら、ぜひ外国語を勉強してみてください」ということに尽きます。楽しくなくなったらやめてもいいし、もし好奇心が続くなら極めてもいい。


ただ、もし英語しか外国語を知らないとしたら、それはやはりもったいないことだと思ってしまいます。


『英語は嫌いではないし、流ちょうにできるようになって損はないという考えは小学生のころから変わらない。しかし、高校時代に第二外国語の授業を受けてから、英語に対する強迫観念めいたものが自分にあるのではないか、と思うようになった。英語に触れたきっかけは本当にささいなもので、楽しいから学んでいたはずなのに、いつのまにか色あせたものになってしまっていた』


『私は第二言語としてフランス語を履修している。フランス語を学んでいくと、街中の看板にアクサンテギュを発見しフランス語なのだと気づいたり、 ジュテームという聞いたことがある言葉がフランス語でありその意味も理解することができ少し嬉しくなったりして生活が少し色づいたようになった』


この対照的なコメントは、二人の別の学生によるものです。もし何か言語を勉強してみて「生活が少し色づいた」ように感じたなら、ぜひそれを興味の続く限り、続けてみてください。


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以上、「英語を学ぶ意味」「学校教育」「モチベーション」など特に登場回数の多かったワードをもとに、実際に講義でお話ししたことを掘り下げる形で論を深めていきました。

以下はもう少し細かい、比較的独立したテーマについて、さらに質問にお答えしていきたいと思います。



・話すことの「恐怖心」や「間違い」について


『私は、英語や第 2外国語として学んでいるドイツ語の、読み書きや聞き取りができるようになりたいと思う気持ちはあるのですが、外国に行ってそれらを話すことに関してはあまり興味を見出せていません。その理由の一つが、異なる言語を扱う方との会話に恐怖を感じてしまう点です』


「読み書き」や「聞き取り」はできるようになりたい、けれど「話したくない」というのは、それはそれで一つの勉強の形だとも思います。この方はその恐怖心を「克服したい」と書いておられましたが、無理になくさなくてもよい気がします。

根本的に違う言語を操り、違う考え方を持っている(かもしれない)他人を前に恐怖心を感じてしまうというのは、ある意味しかたのないことです。あまりネガティブに捉えず、一歩一歩理解を深めることで溝を埋めていければいいと思います。


『他言語を学習する上で「間違い」は必ず発生すると思いますが、その「間違い」についてどう接していけばよいかについて悩んでいます。間違うことによって学べることもあるというのは理解しているつもりなのですが、些細なミスで落ち込んで自信をなくしてしまったり、「恥ずかしい」と思ってしまいます』


『中学校・高校の英語の授業では、先生に指名されて間違えた答えを言うと怒られたりため息をつかれたりと、間違いを許してくれませんでした。(中略)志村さんは、語学を学ぶ上で間違いはどの程度許されるとお考えですか?中学生や高校生のうちは「間違えてはいけない」という意識の元で勉強したほうが良いのですか?』


このように、「間違い」に関する質問も多く見受けられました。僕も基本的には「間違い」は必要なものと考えています。一つもかさぶたを作らずに大人になれる人はいないように、語学も小さな傷、ミスを繰り返す過程で習得していくものです。なので「間違えてはいけない」というスタンスや、それを生徒に植え付けることは長期的に見ていい効果は産まないでしょう。


ただ、その「間違い」をどのくらい「恥ずかしい」と思うか、それをどのくらい嫌がるかは人ぞれぞれです。もし「絶対に間違えたくない」「なんとしても恥ずかしい思いをしたくない」のならば、何も喋らないか、確実に間違えないように勉強しまくるかの二択になってしまいます。しかしそういったゼロ百思考はやがて自分の首を絞めるので、一つ間違ったら1ポイント獲得、くらいで緩く考えるのがいいと思います。



・日本語訛り


『日本語で考えた言葉を外国語へ翻訳するという方法で構わない、スピードをあげるには期間や量が必要だと言われていたのでそれが悪いことではないとわかりました。しかしどうしても怖くなってしまいます。どうすれば英語をはじめとした外国語で話すことに恐怖心を覚えなくなるのでしょうか?また、話すことに恐怖心を覚える理由として文法の間違いや発音が日本語っぽくなってしまうことが多々あることも影響していると思っています。基礎をしっかり理解することが非常に重要なことはわかっているのですが、他にありましたら教えていただきたいです』


『私が外国語学習について課題だと思うのは、日本の特に中高生間で、英語の発音をネイティブのように話す練習をすることが恥ずかしいという認識があることだと思います。私も中高生の時、英語の発音を声に出して練習するときに、周りを気にしてカタカナ発音になってしまった経験があり、これは一種の同調圧力的なものなのかなと感じていました』


「発音が日本語っぽくなってしまう」、いわゆる「日本語訛り」もよく問題にされます。しかし、こと英語の場合、世界各地で話される英語の発音は本当に多様で「どれが本物」と言うことは難しくなっており、「日本語っぽい」発音もある意味「個性」です。無理にネイティブのような発音を目指すのではなく、「伝わる発音」を心がけるのが何より大切です。


とはいえ「日本語訛り」と「カタカナ発音」は似て非なるものです。努力してもどうしても残ってしまう日本語らしさは「個性」と言えますが、「カタカナでも伝わる」と居直るのはただの「怠惰」です。そしてこれはたしかに、ちゃんと発音しようとすると笑われてしまう「一種の同調圧力」も関係しているのでしょう。がんばって発音している人を笑う傾向はとりわけ英語に見られ、他の言語ではぐっと弱まるような気がしますが、なぜでしょうか。英語だけ早い段階で、子どものときから勉強するからそうなってしまうのかもしれません。



・言いたいことが言えない


『頭の中では考えや内容が浮かんでいるものの、発言する言葉に変換する際、時間がかかります。また、急な質問や途中で話したいことがあった時は、単語での受け答えが精一杯で、完成した文章で話すことが難しいです』


『私の場合、言いたいことを一旦日本語にしてからそれを英語に変換しているため、発言に時間がかかったり、適切な英単語が思い浮かばず黙ってしまったりします。よく、「言いたいことを直接英語に変換できると良い」と聞きますが、どのような勉強をすることでそのようなスキルを身につけることができるのでしょうか』


このような悩みもたくさんあるようです。が、答えはシンプルに「日頃やっていないのだからできるわけがない」です。英語でもフランス語でも同じですが、日本語との文構造の違いは歴然。それを急に、スルスル操るというのは、言わばいきなり逆立ちしながら歩くようなものなのだからできなくて当然です。こう言うと「でも、できる人もいる」と言われそうですが、それはその人がやたら優秀で頭が柔らかいか、よほど勉強しているかのどちらかです。


強いてアドバイスを挙げるなら、「日日翻訳」をやってみるのは有効だと思います。「かわいい猫がひなたぼっこをしている」というだけのシンプルな文でも、「日差しの下で寝ている猫がかわいい」「かわいらしく寝ている猫を太陽が照らしている」など、順番や品詞を入れ替えたり見方を変えることで同じ場面でもいくらでも言い換えることができます。これが上達すると、「頭で組み立ててから発言するまで」のインターバルが短くなっていくと思います。



・会話のレベル


面白いご指摘がありました。


『それは、外国語学習の内容の深さについてです。(中略)現地の方と会話をしたとき、難しい単語を使わなくてもほとんどが簡単な単語で言い換えることができたり、文法事項を細かく意識しすぎて逆に伝わりづらい表現になってしまったりしたため、深く学習しすぎることはコミュニケーション能力を向上させることに適していないのではないかと思ったのです』


なるほど確かに、「深く勉強すればするほど話せなくなる」という問題もあるかもしれません。知識ばかり増えていき、自分の口から出ることと実際に伝えたいことの乖離に苦しんでしまうこともあるでしょう。


『私の行っていた高校の英語の授業は話すことを重視していて文法などの「聞く」授業は無いに等しく、ディスカッション、ディベート、プレゼンテー ションを行っていました。中学生の時に英語が苦手だったこともあり高校一年生の頃は着いていくのにやっとでしたが高校三年生になると慣れることができ、大学でのNSEの授業もそこまで苦労することなく受けられています。話すためには自分で文法を勉強しなくてはいけなかったので自然に文法も身につきました』


という別の方のコメントにもある通り、あまり難しい内容に入る前から会話の練習をし、「話す」ことに重点を置きながらそれを目的として文法などを勉強するのも理に適っています。


しかし、このようなご意見もありました。長いですがそのまま引用します。


『今のまま英語の勉強を続けたとして、「英語を話す人」になることはできても、「英語で伝えられる私」にはなれないのではないか、という疑問が私の外国語学習における悩みである。小学校高学年・中学校・高校で、週に1回、NSのようなネイティブの授業があった。どれもSpeak English, No Japaneseという方針である。うっかりすると日本語が出てしまい、日本語で話すと注意されてしまう。日本語にならないように気を付けていると、日本語話者である自分まで封じ込めているような感覚に陥る。ネイティブの授業は、海外のような「英語オンリーの時間・空間」を与えてくれるが、英語のみだからこそ、質問がしづらい。私が伝えたいことは、日本語で思い浮かぶ が、それをネイティブの授業中に英語にする際、迷っても日本語で質問することはできない。現在第二外国語で習っている中国語は、まだ基礎中の基礎を学んでいるため、日本語と中国語を混ぜて授業をする。しかしこの先、発展的な中国語の授業をとれば、また英語ネイティブの授業と同じように、日本語で思い浮かぶ「伝えたいこと」が変換できず、中国語に変換できる範囲の事柄しか伝えられないのではないか、という不安がある。私は、「外国語で伝えることのできる私」になることが、複言語主義的な「私の在り方」だと考えている』


「外国語で伝えることのできる私」というのは大事な視点です。ただ相手との意思の疎通を図るだけでなく、何か自分の大切な考えや思いを「伝える」ためには、(もちろんそれが全てではないにせよ)ときに緻密な「文法」が助けてくれることもあります。堅苦しいと忌避してしまいがちですが、文法などの規則は自分の表現を研ぎ澄ましてくれるツールです。

「細かい文法よりはフランクな表現などを身につけた方がいいのか」といった質問もありましたが、それは何を目的にするかで当然変わってきます。ただ楽しくコミュニケーションを取れればいいのであればフランクな表現ももちろん役に立ちますが、外国語を通して何かを正確に伝え、自分をより深く理解してもらったり、受け入れてもらったりするためには結局のところ、勉強してそのための道具を手に入れるしかないのです。



・どの言語で思考するか、言語の内面化と感覚


『母語である日本語は思考と一緒に言葉が出てきますが他の言語はいちいち日本語から訳さないと出てこないということは英語への回路をもっと通すべきなのではないかと考えました。独り言だけでなくその言語で思考することも練習になるでしょうか。また、志村さんは普段物事を思考される際にどの言語で考える等ありますでしょうか』


『外国語学習で最も困難に感じるのは類義語の覚え方です。例えば「理解する」という意味の英単語はunderstand, grasp, comprehendなど、複数の種類がありますが、我々日本人の間ではunderstandだけを覚えておけば事足ります。(中略)しかし生まれた時からこうした観念に触れている母国語者は容易に適合できても、外国語学習者にとっては馴染みの薄いものが多く、記憶することは困難です。また、仮に記憶することが出来ても、その観念を内面化することが出来ず、使い方がぎこちなくなり、文や会話の流れにそぐわなくなってしまうことがあります』


といった(少しハイレベルな)質問もありました。僕の場合、(相手がいようと独り言だろうと)フランス語で話しているときにはフランス語で考えることもありますが、だまってフランス語で思考することはほとんどないです。それはおそらくフランス語が口の動きと連動しているからで、口を動かさずに脳内だけでフランス語を操るのはちょっと難しいです。


また、外国語の「観念を内面化する」というのも重要なポイントです。類義語を覚えるのも有効で、その単語がどんな状況でどんな使われ方をするかに着目することでだんだんとそれぞれの語の「イメージ」がわかるようになってきます(かなりの量のインプットが必要ですが…)。


『今の段階では、英語を聞き取った後に頭の中で日本語に変換してから理解するというプロセスがあり、逆の場合も同様に、英語を話す時は日本語から英語に訳すということを無意識に行なっています。そして、このプロセスは一定の年齢を超えると言語習得の度合いにかかわらず付き纏うと聞いたことがあります。もしそうならば、今からいわゆる英語脳になることはできず、幼い頃から英教育を受けた人や英語に親しんできた人にしか獲得し得ないのでしょうか。志村さんはこのようなプロセスなしに、ネイティブのような感覚をもっておられるのかお聞きしたいです』


というご質問もありましたが、僕の場合、もちろん全部ではありませんが特定の表現や文法についてネイティブに近い感覚で「わかる」ことはあります。フランス語で言えば例えば「冠詞」などはかなり感覚的なものだと思うのですが、今でもたまに間違えることはあれほとんどの場合どの冠詞が的確か直観的にわかります。

けれど最初からわかったわけではもちろんなく、目にしたもの耳にしたものを何度も反芻し、自分でもたくさん使い続けて身につけた感覚です。だから大変ではありますが、ネイティブではないという理由で「ネイティブのような感覚を持てない」、ということはないと思います。



・「できる」の基準と自分の進歩


『講義内で「中級を決めるのは難しい」というお話があったのと同様に他言語学習において、どの程度まで達すればその言語が“できる”と言うことができるのでしょうか』


これには明確な答えはありませんが、「できるようになった」と思ったときが「できるようになったとき」だと思います。最初はまったく「できない」状態だったのが少しずつ「できる」ことが増え、後者が目立つようになってようやく「できる」と言えるようになるのでしょう。


『大学受験の勉強でリスニングをほぼ毎日のようにしていましたが、聞こえるようになったと思っていたら聞こえなくなってしまった時期に入ってしまったことがあります。頑張っても一進一退の繰り返しでなかなかできるようにならず、どこで自分の進歩を認めればいいのだろうと思ってしまいます』


というご意見もありました。これについて個人的な経験から言えるのは、「進歩」は「日々実感するもの」ではなく「後で一気に実感するもの」ということです。何事もそうだと思いますが、「昨日の自分より上手くなった」とはなかなか思えないものの、それでも続けていると「半年前の自分より確実に上手くなった」と思えるときが来ます。それにはただ、だらだらとでも着実に続けることです。



・言語とアイデンティティ


『講義の最後の方に出た複言語主義について(複数言語を様々なレベルで習得し、不均衡な言語能力を肯定)、どの言語も程々レベルだったら所謂アイデンティティークライシスに陥る可能性が高まる気がしますが、そこはどうなのでしょうか。例えば、親も育ちも日本人だったら核を日本として複層的に学ぶことは可能だと思いますが、ハーフや〇〇系△△人1世2世は、ただでさえ自分がどこの人かという悩みを抱えがちなのに、完璧にできる言語がないと、核がないから複層的学習が難しそうだし、余計にその悩みが大きくなるのではないかと思いました』


これは大いにそうだと思います。実際にこのような問題に直面し、乗り越えてきた人も何人か知っています。両親は日本人でもフランス語圏育ちだったりすると、日本語とフランス語どちらを「母語」と言っていいかわからない状態になりそれは当人を不安にさせます。

よって(たとえば僕のように)モノリンガルな環境で育ってから外国語を学んだ方が「アイデンティティクライシス」に陥る心配は少ないでしょう。


一方、


『英語が自分の“キャラ”と思考様式にフィットせず、日本語を話しているときのアイデンティティを保てない気がします。加えて日本語だからこそ言えるニュアンスの違い(漢語か和語か、平易な言葉か、あまり一般的でない言葉を使うかなど)に拘ることが多く、内心では外国語を極めようとしても、結局は自分の本心を正確に語れないのではと思ってしまいます。マイナス感情や苦手意識をなくす方法はあるか、あるいは無理になくさなくてもよいのか、また母語以外を話しながら自分を出せるのか・同じアイデンティティでいられるのか、よろしければ志村さんのご意見を伺いたく思います』


といったご意見もありました。「自分の本心」というのも定めづらいものですが、たしかに外国語を話すことによってアイデンティティは確実に「揺れ」ます。その「揺れ」をどう受け止めるかが問題です。

ただ、母語以外の言語でも「自分を出す」ことは可能だと思います。僕の場合フランス語を使って「フランス人っぽく」振る舞うこともできるし、わざとできるだけ日本語を話すときのテンションでフランス語を話すこともあります。最終的には慣れやスキルの問題かもしれません。


『言語を話す時、発音や文法だけではなく、テンションやアクセント、また身振り手振りなどが必要になる場合があり、本来の自分とはかけ離れた人格をその話す言語に応じて作ってしまうということがあると思います。このことが決して悪いという訳ではなく、自分の肌に合う言語を学ぶということが言語学習において最も有効な手段だと思います』


自分の「肌に合う」感覚はとても大事だし、それによって「本来の自分」まで、いい影響を受けて変わることもあっていいと思います。



・語学を始めるタイミング


『いつのタイミングで他言語を本格的に勉強していこうか迷っています。留学など自分のしたいことができる大学在学中に学ぶか,大学は医療の勉強に集中して社会人になってから学ぶか。志村さんは社会人になってからでも語学の勉強を始めることは遅くないというふうなことをおっしゃっていましたが,語学の勉強を始めるタイミングなどで何かアドバイスがあれば教えてください』


思い立ったが吉日です。もし興味のある言語があるならとりあえず本を一冊買って、一度パラっと目を通して(ここまで一時間あればできます)、それから考えたらいいと思います。


『私の外国語学習に対する悩みは、興味のある言語はいくつかあるが学ぶという行為にまで移すのに大変時間がかかるということです。英語やスペイン語、 フランス語など、話せたらかっこいいと感じるし、複言語主義の説明で西山先生もおっしゃっていたように、複数の言語を話せると話す相手を増やすことができ視野が広がるとも思うが、簡単に習得できるものではないし、ペラペラ話せるようになるには途方もなく長い時間がかかると思うと、なかなか学習するという実行に移せません。学校で必修となっているもの以外の外国語を学習する人の学習のきっかけと継続するモチベーションは何なのでしょうか。外国語は地道に上達していくものなのに、私は一気に話せるようになることを期待しすぎているのかもしれません』


きっかけは何でもいいです。音楽でも、新しくできた友人でも。たしかに「途方もなく長い時間がかかると思うと」及び腰になりますが、仮に1000個単語を覚えなければいけないのなら、来年まとめて覚えても今から始めても同じです。今の世の中「一気にお金持ちになる」方法なら存在しても、「一気に外国語が話せるようになる」魔法は残念ながら存在しません。



・複数言語の両立


『私は英語が中高の時ずっと苦手で、文法を覚えることから発音まですべてが嫌いでした。しかし大学に入り第二言語を選択しようと考え始めたとき、一番興味のあったロシア語を選択しここ半年以上少しずつ基礎を積み重ねている状態です。初めは英語もしっかりしゃべれないのにロシア語に手を出してどっちつかずに何も話せないまま終わるというのはつらいな、と考えていたのですが少しずつ上達していくのを感じ、自分に自信が持てるようになってきました。そこで質問なのですが、これから私はもっとロシア語を上達させていくのがいいのか、英語に立ち戻りもう一度やり直してみるのがいいのか、両方やればいいのかで迷っています』


それは悩ましいですね…。でも、上手くいく保証はないですが「ロシア語の勉強に専念する」のも一つの手だと思います。英語が苦手でロシア語に「自信が持てるようになってきた」のだったらなおさら。僕だったらそうします。


『私は元々イタリアに興味があり、大学でイタリア語を学んでみたいと思っていました。そのため一年生での必修の第二外国語はイタリア語に近い言語であるフランス語を選択し、二年生からイタリア語の授業を受けようと考えていたのですが、この半年間フランス語を勉強してみてとても面白さを感じ、フランス語も上級まで習得したいと思うようになりました。(中略)大学の間は英語とフランス語の二つのレベルを上げることに集中すべきでしょうか。それとも、意欲がある大学在学中にイタリア語の授業をとってみるべきでしょうか。どの言語の習得も妥協したくないと考えているだけに、迷っています』


よく言うように、フランス語とイタリア語はよく似ています。なのでどちらも中途半端になったり、混ざってしまう危険もないとは言えません。僕の場合、フランス語がだいぶ上達した後でイタリア語を勉強しましたが、その時はすでにフランス語が安定していたので、混ざる心配はありませんでした。今はフランス語が面白いなら、とりあえず英語とフランス語の勉強を続けて、あとでイタリア語を学んでも遅くはないです(フランス語で書かれたイタリア語のテキストで勉強してみるのもおすすめです)。でももちろん、興味があるなら試しにイタリア語の授業を取ってみるのもいいと思います。


『私は第二外国語でドイツ語を取り、さらに第三外国語でイタリア語を取っています。単に興味があるから、という些細な理由でどちらも取っていますが、言語の習得において二つを同時進行することは避けるべきなのか否かを知りたいです。今のところ、どちらの言語も初歩的な段階から始めているので、個人的にはついていけている気はしていますが、例えば生徒という意味のStudentとstudenteのような綴りや発音が似ている単語においてどちらがドイツ語でどちらがイタリア語か、と迷うことや、Studenteのような形で綴りや発音が合体してしまうことも少しありました』


ドイツ語はゲルマン語、イタリア語はロマンス語とそれぞれ違う系統に属する言語です。なのでフランス語とイタリア語、イタリア語とスペイン語等の取り合わせに比べればこんがらがる心配は少ないはずです。どちらも習得したいのであれば、違いに気を付けながら並行して勉強してもいいと思います。



・外国語か日本語か、言語の相互作用


『外国語を重視することで国語の存在が薄れているように感じる。 国語は、私たち日本人が物事を理解するうえで、どんな場合でも基盤となるものだ。英語を理解するにも、第二外国語を理解するにも、日本語の文章でまずは理解するというプロセスは省けないものであると思う。それゆえ、外国語を重視し、国語を削ったり軽視したりする今の教育方法に私は疑問を感じる。外国語教育に携わる先生は、外国語を重視する今の教育をどうお考えになるのか。外国語教育のほうが国語の教育よりも重要であるとお考えになるのか。意見をお伺いできたら幸いである』


外国語教育と国語(日本語)教育は、そもそも天秤にかけるべきものではないと思います。片方を疎かにすることによってもう片方が成り立つのではなく、それぞれが影響し合いより豊かな言語感覚を獲得できることが重要です。また、外国語を深く勉強する過程で、必ずといっていいほど母語を見直す機会があります。外国語を一生懸命勉強した人は口を揃えて「日本語に興味を持つようになった」と言います。


このようなコメントもありました。


『私は母国語以外の言語を学ぶことは巡り巡って母国語の能力を上昇させることに繋がると考えます。例えば英語や自分が履修している中国語ではどの文にも基本主語がついていますが日本語は状況がわかりきっている場合や、日常会話などでは主語を省略することが多いです。ほかの言語を学ぶことでそうした言語間のギャップに気づくことができるようになり、母国語の会話も自分の欠点や改善点を修正していくことができると考えています』



・日常会話と留学、外国語を学ぶ環境


『日常会話は難しいからこそ、現地に赴き、実際にネイティブの方々の言葉や会話を聞かずして、日常会話を完全に習得する=その言語での日常会話が問題なくできるようになるのは不可能なように感じてしまい、やはり留学は新しい言語の学習にとって必要不可欠なものなのではないかと考えてしまいます。これに関して志村さんはどう思われますか?』


講義の最中、「日常会話がいちばん難しい」という話をしました。たしかにおっしゃる通り「難しいからこそ」現地での習得が欠かせないように思えるし、現に僕自身、一年だけとはいえその恩恵を多分に受けたからこそフランス語が話せるようになった経緯があります。

しかし、現地に行ったからと言って毎日必ずその土地の言語を使うわけでもありません。もちろん場所にもよりますが、仮にまったく話せなかったとしても、想像以上に「生活できてしまう」のです。たとえ現地にいても、結局「自分から話す機会」は意識的に作らないとできません。

反対に、留学をしなくても遜色なく日常会話をこなす人もたくさんいます。そうした人たちに共通するのは、圧倒的な勉強量と情報収集量です。留学は一度に経験値をたくさん集めるための裏技にはなりますが、それがないと立ち行かない、というものでもないと思います。


『今はコロナでいけませんが、1か月ほどの英語留学に行こうと考えていました。最適な勉強方法は人それぞれあって何が一番良いとは言えないとおっしゃっていましたが、一ヶ月程度の留学は語学の向上になりますでしょうか』


「ほとんどならない」と思って行った方がいいと思います。一ヵ月はあっという間、体感としては一瞬です。もちろんいい刺激にはなりますが、語学力の向上には直結しません。


『今回の講義で志村さんは留学について花の水やりに例えれば、日光であるとおっしゃっていました。私は、NSEの授業も同じようなものでその時間は英語に触れる環境を与えられている、いわば日光を浴びている時間帯だと思います。しかしながら、私はその環境を自分の語学力向上に生かし切れていないと感じています。(中略)毎回、その時間を有効に利用できず、まるで日光のもとで日傘をさしながらいるようなものになってしまいます。毎週訪れるNSEの授業という日光を最も効率よく浴びるよう努力を続けるのが今の私の課題であり、克服できずもがいています』


「まるで日光のもとで日傘をさしながらいるようなもの」という比喩にハッとさせられました。なぜ日傘をさしてしまうかというと、日光を浴びたくないからですよね。日本語の傘の中にいれば安全です。強すぎる日光は害にもなるので、上手く日陰を見つけながら適度に浴びてください。



・テスト、検定試験


『私は中学生のころから比較的教科としての英語は得意で、受験の英語も得意でした。しかし、言語としての英語は本当に苦手でした。どうしても話すということが苦手で、よく周りから「本当に受験英語はできるのに、英語話せないねえ」といわれてました。(中略)それはどうしても頭の中に「テストのための英語」があったからだと思います。テストでいい点を取るために単語を覚えるけど、テストでは発音は問われないため単語の綴りだけ覚えていたし、センター試験の発音・アクセント問題も法則を覚えて機械的に解いていました。それは、大学生になった今でも変わりません。第二外国語として学んでいる中国語も、テストに出そうだなと考えながら勉強しています。どうしたら、この「テストのための言語科目」といった意識が薄れるのでしょう』


なかなか難しい問題だと思います。授業を受けたいけれど、そうなるとテストや単位がつきまとうというのはちょっとしたジレンマです。どんな形であれ「学校」で勉強する言語は、多かれ少なかれ「科目」として意識されてしまうでしょう。

僕はフランス語に関しては最初が独学だったので、「テストのための言語科目」という意識は初めから持たずに済みました。いっそ全く別の言語を、自分ひとりで始めてみるのもいいと思います。


『私は現在中国文化論教室に所属しているため中国語の語学検定試験を受験した方が良いのではないかと思う反面、試験が本当に将来の自分に有効なのかと疑問に思っています。確かに語学検定試験には長所があります。TOEICを例にとってみると、内容はビジネス向けになっているため社会人になって外国とコミュニケーションをとる際に役立ちます。さらに、試験前は学習習慣が身に付き、試験後は「合格」が語学学習のモチベーション向上を促します。一方、語学力を必要としない職業を希望している人、主婦になって勉強そのものと疎遠になろうとしている人にとっても語学検定試験を受験することはメリットがあるとお考えですか』


おっしゃる通り、検定試験には「モチベーションアップ」や「達成感」、「次の目標になる」など多くのメリットがあります。しかし、〇検〇級になかなか受からなくて毎年意地になって受験している人も多く見かけますが、「そんなに頑張らなくていいのに」とつい思ってしまうのが正直なところです。検定に頼らなくても楽しみながら勉強を続けられるのがいちばんいい状態だと思います。



・発音、リスニングとスピーキング


『ユーチューブで、日本語で発音の仕方などを解説しているネイティブスピーカーの動画を見たのだが、RとLの違いや、日本語には存在しない母音(アとエの中間のような音など)と、日本語の母音の違いなどがほとんど分からなかった。確かにこれらの音のみを比較して発音している時は違いが聞き取れるのだが、単語や文中にそれらの音が出てきた時にはさっぱり分からなかった。どうすればこれらの音を聞き分けられるようになるのだろうかと悩んでいる』


『自分なりに分析した結果、「Readingでは、外国語で書かれた文章を目で見る。そのため、分からなくなっても戻りながら自分のペースで読み解くことができる。それに対してListeningでは、頼りは耳のみ。分からなくなっても耳から入ってきた曖昧な記憶をもとに内容を理解するしかない。」ということが考えられました。この結果から、再生・停止・巻き戻しボタンを自分自身で操ることのできるReadingと、再生ボタンしかなく、そのボタンを自分自身で操ることができるかどうかも分からないListeningの2技能を、同様の勉強法で高めようとすること自体が誤りだったのだと感じるようになりました』


こういった意見のように、「聞き取りが上手くできない」という悩みも多くありました。これは僕もよく相談されますが、聞き取りの改善は実際かなり難しいです。「とにかくたくさん聴く」というのもやらないよりやった方がいいのは確かですが、効果が出るとは限りません。

それよりも、僕が推奨しているのは「自分の発音をよくすること」です。「聞き取り」は脳内で起きていることなのでいじれませんが、「発音」は自分の口の中で起きていることです。最初は難しいですが、特定の音を出すときに口や舌をどのように使っているか、練習していくうちにだんだんわかるようになってきます。そして正しく発音できるようになった音は、聞き取りもずっと楽になります。ぜひ「発音の仕方」を意識して自分でも練習してみてください。


スピーキングに関して、こんなコメントもありました。


『私は現在中国語を勉強しているのですが、そのリスニング・スピーキングの能力とライティング・リーディングの能力との間に大きな差があることに悩んでいます。英語を6年も勉強していたにも関わらず全く話せない・聞き取れないことにショックを受け、中国語の学習は読解よりも「話す・聞く」を中心に据えた勉強をしようと、4月から毎日欠かさずリスニングをしたり積極的に シャドーイングをしてきました。そのおかげか街中の中国語のアナウンスはある程度聞き取れるレベルにはなりましたが、逆に中国語の筆記試験となると全く解けないのです。(中略)私のように、リスニング・スピーキングの方が得意な人は、これから先読解重視の勉強をすれば、二つの能力間の差を無くすことが出来るのでしょうか?私のような悩みを持っている人は少ないように感じるので、是非教えて頂きたいです』


たしかにこのような悩みを持つ方は珍しいと思います。おっしゃるように「読解重視の勉強をすれば、二つの能力間の差を無くすことが出来る」と思いますが、どうしても試験に合格しなければならないのでなければ無理に能力を均す必要もないのかもしれません。リスニング・スピーキングが得意なのであれば、そこに自信を持って伸ばすのもいいと思います。



・単語、語彙


『質問になりますが、英語を学ぶにあたって、高校の先生に「とりあえず英単語を覚えまくれば中学レベルの文法だけでも何とかなる」と言われたことがあるのですが、それについてどうお思いになりますか。受験対策英語についての発言だったと思いますが、単語を幅広く理解していればネイティブの人ともある程度会話することはできるのでしょうか』


単語さえ全部わかれば「何とかなる」のは確かです。「ある程度会話する」こともできるかもしれません。しかし、会話する相手から「どう思われるか」は別の問題です。僕は英語は話せませんが、もしまた勉強することがあれば、バカにされたくないし一人の人格をもった人間として見てほしいので、しっかり話せるように単語以外も勉強すると思います。


『外国語を学ぶうえで、辞書をどのように活用していくかについて悩んでいます。英語においても、私が今第二外国語として学んでいるドイツ語においても、私は文章を読んでいて分からない 単語が出てきたら、すぐに辞書で日本語の意味を調べてしまう習慣があります。高校のとき、すぐに辞書で意味を調べるようなことはせず、文章を読みながら分からない単語の意味を推測して読んでいくのがよいと言われていました。しかし今は、時間がないときは、分からない単語を1個1個すぐに調べてしまっている状態で、能力が向上しているかどうか不安です。やはり外国語を学ぶうえで、すぐに辞書に頼ろうとするのはやめたほうがよいのかどうか疑問に思っています』


たしかに辞書をすぐに引いてしまうのはあまりおすすめできません。さっと覚えた単語は、さっと忘れてしまうからです。文脈から単語の意味を推測するのもいいし、あとは簡単な具体名詞等だったらGoogle画像検索を使うのもアリです。ドイツ語なら Apfel と入れればリンゴの画像がたくさん出てきますが、画像イメージは強烈なのでなかなか忘れません。一つ一つ単語を増やしていけば、辞書を引く手間も省けて結果的に時間もかからないと思います。


単語を覚えることについてこんなご意見もありました。


『大学に入ってからは英語に加えてドイツ語も勉強するようになりやはり英語を始めた時と同様に自分にできるのかなという不安が芽生えています。個人的な学習とは別に単位として取得しなければならずテストに落ちたらどうしようという不安も付きまとっています。ただとくに始めたての頃に自分によくあることなのですが必要以上に複雑に思ってしまうところもあるのかなとも感じています。いろいろな語形変化が出てきたときにこんなたくさん覚えられなさそうとついつい口にしてしまうのですがよくよく思えば全然覚えられない量ではないのです。それが自分の学習を自分で遅めているのではないかなと思いました』



・外国語を活かすこと


『私は単にフランスが好きだからという理由で今フランス語を取っているのですが、将来それを活かそうと考えています。しかしフランス語や英語を活かせる場が周りにありません。志村さんは、教師以外の一般の人々が語学を学ぶ意味とはどのようなものがあると思っていますか』


正直に言って、フランス語を仕事に活かすのはかなり大変だと思います。僕は「仕事に活かそう」と思って勉強していたわけではなく、勉強を続けていたらいつの間に仕事に活かせるレベルに達したので、現在仕事にしています。教師、というのはある意味少し特殊なので僕はフランス語だけを商売道具にしていますが、他の仕事の場合(フランス語を使って就活をするなど)ほぼ確実に「英語も」求められるでしょう。

フランス語も英語も「仕事で使える」レベルまで持っていくのは、けっこう大変なことです。もし僕がいま学生で、堅実に「仕事に活かす」ことを考えるなら、逆にもっと、誰も勉強しないような外国語を勉強するかもしれません。競争相手が多いというのは過酷なことなので。


『今回の授業で志村さんの話を聞いて、志村さんは大学時代にフランスへ留学したり、語学塾「こもれび」を友人らとともに立ちあげたりするなど、非常に行動力のある方だと思いました。さらに、初めは第二外国語としてドイツ語を学習していたのも関わらず、フランス語の学習を独学で始めるなど行動力に加えて、決断力もあるので はないかと感じました。そこで質問なのですが、語学学習の際に行動力や決断力は重要な要素の一つであるのでしょうか』


そうですね、「やると決めたらやる」行動力、「試しに飛び込んでみる」決断力がある人は語学に向いているかもしれません。外国語学習は「必要」ではなく、「余剰」あるいは「贅沢」です。始めたその瞬間から未知の世界に投げ出される、それを楽しめることは外国語学習に大きく寄与します。


・「語学塾こもれび」について


『これからの時代に即した、結果を求めないからこその勉強法があるのではないか、という先生のお言葉にも納得ができました。しかし、僕の経験では、どうしても結果というものを残さなくてはいけない状況だったからこそ、勉学、語学に励めたし、その過程の中で、勉強が持つ意味合いや、自分なりの「考える力」を少しでも手に入れることができたかのかな、と思っています。勉学、語学の最初のモチベーションは、どうしても結果なのかなと思ってしまっています。そこで質問なのですが、先生の塾での、「結果を求めない勉強法」とは一体どのようなもので、それを生徒の皆さんにどのように実践しているのでしょうか。結果をどうしても求めてしまう学生や生徒に対して、どのように先生が向き合っているのか、詳しく教えていただけると幸いです』


おっしゃる通りです。僕自身も同様、遡ればみなさんと同じ国公立大学受験、フランス語を始めてからは仏検にDALFと、ある意味では常に「結果を求めて」いました。しかしその過程で、結果の外にある勉強や言葉の面白さに気付くことができ、それをそのまま伝えることができたら、と思うようにもなりました。

「結果を求める勉強」と、「結果を求めない勉強」にはそれぞれの良さがあります。しかし現状、前者ばかりが重要視され、後者を大事にした教育機関はごく少数です。僕としては、「結果を求めない」勉強を受け入れられる場所が存在し、そこに選択肢があることが大切だと思っています。


『今回の講義では志村さんの様々な外国語学習に対する考えを知ることができた。指導されてる塾では試験勉強を意識せずに勉強をするという方針がとても珍しく同時にすごいなと率直に思った。というのも自分も塾講師をアルバイトでしているのですが、やはり本質的な学習や理解というよりも定期テストに出る授業のテキストを繰り返しやって覚えてもらうという単純作業を重点的に行なっているため、私の教えている英語の理解に必要なことも最小限やる程度になってしまっているからだ。もちろん塾が定期テストの点数UPを謳って宣伝しているし親御さんもそれを期待して入塾させるので仕方ないのですが。きっと志村さんの塾に集まる生徒さんの親御さんは何が大事かわかっているのだなと思った』


と言ってくださった方もいましたが、本当にその通りだと思います。「結果」を約束しない塾にお子さんを預けてくださっている親御さんたちのおかげで、この塾を続けることができています。

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