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ほころび

「人間らしさ」についてまた深く考える時代になりました。

いや、考える人はいつだって考えているのですが、震災、感染症、こうしたカタストロフィを前にして「人間らしさ」や「人間性」についてより一層考えを巡らせるのは世の常です。

人間らしい、この言葉はなぜかポジティブに聞こえます。「人間」というのは本来ニュートラルな言葉であるはずなのに「人間らしい生活」が牧歌的な響きを持つのは、やはり現代を生きる人々がどこか「本来あるべき人間」のサイズを超え出てしまい、今の僕らの姿はなにか人間を通り越してしまったもの、という共通認識のようなものがあるからでしょう。


とはいえ、「人間らしさ」も移り変わります。昔の文学などを見ればわかることですが、どの時代の人も「五十年前はもっと人間らしい生活を送っていた」と郷愁を込めて思っていたことでしょう。たぶん一度も人間がちょうどよく人間らしかったことはなくて、いつの時代もその数十年前の人々の生き様が「人間らしい」といって懐かしく思い出されるのです。


しかし時は2020年、外に出られないせいで日常生活のほとんどがネット上の仮想空間で完結してしまい、それでもなんら変わりなく日々が続いてしまう背景にはやはり、これまでの何百年とは比べものにならないスピードで今まさに「人間らしさ」が変容しているという事情もあるのかもしれません。


(と、なんだか「カタストロフィ」という言葉を使用したあたりから文体がカタくなってしまったのでここからはもう少しゆるく書いていきたい所存です)


さて、「人間らしさ」と聞いて避けては通れないのがAIの議論ですね。

2000年代に入ってからのこの20年がインターネットの時代だったとすれば(それはこれからも続いていくと思いますが)、これからはいわゆるAI、人工知能がさらにその存在感を増していくことでしょう。

産業革命以来「人間だからできたこと」はどんどん機械に代替されましたが、そこで残ったものさえ次から次へとAIに代替されて行くのだとしたら、いずれ「人間らしさ」という言葉はほとんど「AIにはできないこと」を意味するようになるかもしれません。

などと考えていたら、このような記事を見つけました。

AIの飛躍によりプロ棋士は消滅するのか?プロ棋士がAI時代を生きる上で必要なスキルとは

https://www.shogi.or.jp/column/2017/05/post_146.html

最近の僕が将棋にハマっているのは先月のブログに書いた通りですが、この一ヶ月の間もこつこつと練習を続け、少しずつ強くなっています。四半世紀生きてみてようやく気付きましたが、どうやら僕は “継続” は得意なようです。

それはさておき「将棋とAI」の話。

これはちょうど三年前の記事で、“プロ棋士”と“AI”が対局する「将棋電王戦」二番勝負、一局目で敗北を喫した佐藤天彦名人が将棋ソフト「ponanza」にリベンジを挑む、その前夜に公開されたものです。

圧倒的な計算能力を誇るAI相手に、人間に何ができるか。記事でも「人間性」という言葉が繰り返し使われていますが、〝人間ならではの「強み」や、ある意味「弱さ」を身につけていくことが、より重要になる事は間違いないだろう〟という締め括りが印象深いです。

そしてこの対局の結果は、佐藤名人の二連敗に終わりました。

人工知能を巡る議論では、“AI が人間を超える瞬間” のことを物理学用語から取って「(技術的)特異点」「シンギュラリティ」と呼んだりしますが、将棋の世界ではまさにこの時がそうだったのでしょう。

最強クラスのプロ棋士がAIに文字通り「負けた」、そのことの驚き以上に、「人間がAIに勝てるわけがない」ことがもはや当たり前になり、名人の惜敗をむしろそれが自然であるように見届けてしまったことに対する驚き、そのマインドセットの変化を経ての苦い感情が、(今の僕には想像することしかできないものの)当時の将棋界にはあったのではないでしょうか。

「答えのない闘い」佐藤天彦 叡王―PONANZA:第2期電王戦 二番勝負 第2局 観戦記

https://originalnews.nico/25847

以下記事から引用です。

〝とりあえず総括してみると、人と人が闘う将棋は、1対1のマラソンのデッドヒートのようなものだなあ、と思った。理屈も理論もなし。相手に勝てばそれでよし。それが我々の生きてきた世界だ。

 対して電王戦、AIとの対局は、お互い別々のところでタイムを計って答え合わせで勝ち負けを決めるというようなものだろう。それはそれでいい勝負ならおもしろいといえよう。

 ここ数年は、奇跡的におもしろい数年間だった、という視点もあるのである。棋士としては、序盤の指し方に興味があった。コンピュータは、多種多様な指手を用い、将棋の序盤戦において、駒がぶつかるまでは、バランスさえ取れれば「なんでもあり」だということを教えてくれた。バランス重視にみえる人間のほうが、実は片寄った、偏見のある物の考え方としているということを知らしめてくれた。〟

千年以上の歴史を持つ将棋というゲームでさえ、AIの台頭によって人間の「偏見」が明らかになるのです。いや、それならむしろ、その「偏見」や「弱さ」こそが、そのまま「人間らしさ」と言えるのかもしれません。

ところで、人によって「AIの脅威」と言ったり「AIとの共存」と言ったり様々ですが、僕のように外国語を使った仕事を生業にしている人も気を抜いてはいられません。「特異点」の影は確実に近づいてきているのでしょう。

たとえば翻訳。正確さだけを取ってみれば、AIが人間を上回る未来を想像するのは少なくとも感染症が世界を揺るがす未来を予想することよりはるかに簡単です。容易に想像できるのであれば、すんなりと受け入れることもできてしまうでしょう。


けれど将棋を面白く感じられるようになって気づいたのは、いくら限られた盤上でのゲームとは言えそこに無限とも言える偶然性が散りばめられていること、そしてその偶然性や一瞬の気の逸りにプレイヤーが “翻弄される” こと、そこに物語があることです。

将棋も、言語も、そこには大きなシステムがあり、ロジックがあります。その繋がりや全体像を理解するのは楽しいことですが、どうやらその土俵ではAI相手に勝ち目はありません。

けれど人間がシステムやロジックを操るとき、そこには必ず “綻び” があります。それは人間には耐えず眠気とか、お腹の空き具合とか、その日の気分とかテンションがあるからです。そしてその綻びが繕われるとき、物語が生まれます。


人が「人間らしさ」を問うことから逃れられないのは、どう足掻いたって物語からは逃れられないからなのでしょう。 



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