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無我夢中で駆けて行く



 8月28日(土)、こもれびよりVol.17「山月記を読む」を開催しました。初めての朗読会、そして初めての配信形式ということで何かと至らぬ点もあったかと思いますが、お聴きくださった皆さま、誠にありがとうございました。

 当日の様子のご報告は近日公開予定です。今回の記事では、私なりの振り返りをしてみたいと思います。


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 結果的に配信という形になりましたが、当初は「このご時世でも、会場で開催できるような内容はなんだろうか」という観点から知恵を出し合って、朗読会をすることにしたのでした。塾長・志村のブログにもありましたが、フランス語と英語の間を取って日本文学を朗読することになり、日本語を朗読するのは私の役目となりました。

 二つ返事で引き受けたものの、いざ練習を始めてみると致命的なことに気づきました。朗読していると、どうにもつんのめってしまうのです。「つんのめる」というのは、突っかかるというよりも、今読むべき言葉が次の言葉と混ざってリズムが崩れてしまうのです。当日までの練習により多少はマシになりましたが、それでもやはり聞き苦しいところが出てしまいました。


 思えば似たような現象は、仕事で定型的な文章を話したり電話をかけて名乗ったりする時にも起こります。


 自分なりに原因を分析してみたところ、「口よりも先に目が動いてしまい、口から出ている言葉と目から入ってきた言葉が頭の中で混ざってしまうのではないか」との仮説にたどり着きました。

 普段本を読む機会が多い身ですが、たいていは、というかほぼ100%、普段の読書は黙読です。つまり、どんどん目を動かして読んでいくわけです。その読み方に慣れているため、いざ口から声を出して読もうとすると、口のスピードと目のスピードの間に齟齬が生じてしまうのかもしれません。仕事での定型的な文章や電話も、無意識のうちに頭の中に文字を思い浮かべて、それを読み上げているような感覚なのだと思います。そのため、朗読と同じようにつんのめるのです。


 幸い、『山月記』の朗読は何種類か商品化されており(私がかつて感銘を受けた江守徹氏による朗読も、新潮社からCDが発売されています)、自分で読む一方でそれらを聞き込むことで「間の取り方」などを勉強してから臨んだことで、先ほど述べたように「マシ」にはなったのでしたが、我ながら困った癖だと思います。

 ただ、この「つんのめり」がもしかしたら奏功したかもしれないと思える部分もあり、それが李徴が虎に変わるシーン。「誰か」に呼ばれて走り出した彼は無我夢中で駆けて行くわけですが、ここは疾走感をもって読むと良い感じになりそうです。そのため、どちらかと言えばつんのめり気味で読んだ方が、絵が浮かびやすいかもしれません。


 …とは言ってみたものの、朗読した本人がいくら述べても言い訳にしか聞こえないですね。つんのめったのはもちろん、つい感情が入りすぎてしまって事前に調べたはずの漢字の読み方を間違えた箇所もたくさんありました。

 いずれ、改めて朗読してみたいなぁ…などと思ったのでした。まずは、アナウンスと発声のトレーニングから取り組もうと思う次第です。

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