• こもれびスタッフ

言い換えの達人



 先日、書評紙『週刊読書人』で面白い書評を読んだ。


 最近は仕事の忙しさと日中の日差しの厳しさとでなかなか外に出られず、新刊・近刊情報は版元のWebサイトや書評紙で得ることが多い。書評紙というものについて、はじめは失礼ながら要するに広告集なのだろうくらいに思っていたのだが、しばらく読み続けているうちに「書評の作品性」のようなものが見えてきた。

 書いてみようとすればすぐに分かるが、書評を書くのは思った以上に難しい。単なる内容紹介に終わってもいけないし、評者の見解をひたすら述べるだけでもいけない。内容に触れつつ評者ならではのコメントを加える、その絶妙のバランスが腕の見せ所でもある(なので、私が毎月ここに書いている本に関する文章はただの感想文であって、決して書評ではない)。


 「面白い書評」とは、『聖書とモンゴル』(編:芝山豊/滝澤克彦/都馬バイカル/荒井幸康、2021年、教文館)という本に関するもの。『週刊読書人』Webサイトに全文が掲載されているので、リンクを貼っておく。


https://dokushojin.com/review.html?id=8301


 面白いと思ったのは、その冒頭。「題名から浮かびあがったのは、青い空、どこまでも続く草原、たくさんの羊たち。そして聖書?日本で出版されているのだから、必ず日本との繫がりもあるはず、そのような期待をもって読み始めた。」とある。評者の峯岸氏の肩書きは「曹洞宗ヨーロッパ国際布教総監、宗教間対話研究所所長」なのでキリスト教ではなく仏教が専門の方だが、広い意味での宗教の専門家と言えよう。そのような人が、題名から思い浮かんだ素朴なイメージを書き連ね、「必ず日本との繋がりもあるはず」との淡い期待を胸に読み始めたことを実直に書いているのは、とても好感が持てた。この書き出しは、多くの人がこの本のタイトルを見た時に考えるであろうことを見事に言い表しており、自然と続きを読みたくなる。そして、書評を読み終わる頃にはこの本自体を読みたくなる。つまり、書評としては大成功である。

 我が身を振り返ってみると、何かを書こうとする時にそのテーマが自分の詳しい領域に近ければ近いほど、気を抜くと専門用語だらけの「結局何を言っているのかよく分からない」ものを書いてしまいがちだ。専門用語を散りばめておけば「分かる人には分かる」と思ってしまうし、何より格好いい気がしてしまう。一定程度以上の専門性が求められる場面ではそれでも及第点がもらえるかもしれないが、そうでないところでは失格となる。その意味で、この評者は「モンゴルと言えばまずは仏教で、そもそも何世紀に云々」と始めるのではなく、素朴な実感をもって分かりやすい文章を書いている。それゆえの好感だった。


 「分かりやすく書く」ことは全体を単純化することではなく、読み手のことを考えて親切に書くことだ。この場合の「親切さ」にはいくつか種類があると思っていて、先ほどのように「実感のこもった言葉で書く」というのもあるし、他にも「上手く言い換える」ことがある。

 細部を捨て去って大枠だけ示すのなら、比較的簡単にできる。そこを、細部まで丁寧に説明しつつ、全体としても理解しやすく書き表せてこその専門家。そのためには、「私が専門用語を用いて(または抽象的に)記述しているこのことは、具体的にはこういうことなのです」と具体的な言い換えが有効だ。かといって、分かりやすくしようとして卑近すぎる例を挙げると「論旨と重なるようで微妙に重なっていない」という状態に陥ってしまうため、言い換えもなかなか難しい。


 言い換えの達人になるにはどうしたら良いか。「よく読んで、よく話す」、これに尽きるのかもしれない。ちなみに、こもれび塾長の志村はなかなかの達人であるということを最後に申し添えておきたい。

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