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気になって、細雪



 黒田先生がご著書『物語を忘れた外国語』をご恵贈くださったことは、塾長・志村が先日のブログでお伝えしたとおり。なんと私の分までいただいてしまい、ありがたく頂戴した。黒田先生、誠にありがとうございました。

 改めて通読すると、そこで言及されている物語が気になってくる。「読んだようでいて読んでいない」本が多すぎる身としては、なおのことだ。読みながら書誌情報を検索したりして、順調に「いつか読みたい本リスト」が長くなっていく。

 とは言え、長くなっていくリストをただぼんやりと見つめているのも面白くないので、「途中まで読んで、そのままになってしまった」物語の中からひとつを選んで、新刊本を入手して読み始めた。それが、大谷崎の『細雪』。


 幼少期、5つほど年上の兄の本棚にはやたらと文庫本があった。その中で育ったためか、「たくさん本がある」という環境に身を置かないではいられなくなってしまい、当時は小さなキャビネットの引き出しで収まっていた蔵書が今となっては…というのはまた別のお話。

 兄の本棚では特に星新一が目立っていたが(なので私も星作品はそこでかなり読んだ)、中には漱石や鷗外といったいわゆる「文豪もの」もあった(今にして思うと、10歳も離れているわけではないのだから当時の兄もせいぜいが中学生だったわけで、彼もどれだけそれらを読み込んでいたかは不明である)。そこに『細雪』も上巻だけあり、パラパラとページをめくった記憶がある。ただどうにもピンと来ず、以来そのままになっていたのだった。もっと言えばその「ピンと来なかった体験」があったために、これまで谷崎との縁は浅かった。大学では文学部に進んだのだから谷崎の主要作品くらいは当然読んでおくべきだったのだが、その時も遠くを通り過ぎるだけだった。


 そんなわけで、久方ぶりの『細雪』。意を決して読み始めると、あれ、どんどん読める。もちろん、端々に現れる価値観の古さは否めないし、「谷崎の文章の美しさ」が身に沁みて分かるわけでもないが、会話のテンポに乗せられてかスルスルと進んでいく。「寝る前に30分だけ」のつもりで読み始めたのが、気づけば1時間経っていることもある(もちろん、読んでいるのが2011年に改版された大きい活字のものなので、単純に1頁当たりの文字数が少ないということもあるのだろうが)。

 そうこうしているうちに、黒田先生が取り上げていらっしゃった箇所に行き当たった。キリレンコ家への訪問シーンだ。

 食事が始まらずやきもきしているはじめはさておき、「鮭の燻製、アンチョビーの塩漬、鰯の油漬、ハム、チーズ、クラッカー、肉パイ、幾種類ものパン」(p.152)が所狭しとテーブルに並べられるのを読むと(そして今こうやって書き写していると)無性におなかが空いてくるのはもちろん、大人数で食卓を囲めた日々が懐かしくなってきたりもする。


 そして、このシーンのメインキャストはキリレンコ家の「お婆ちゃん」。「帝政時代の露西亜の法学士」(p.142)で、独特の振る舞いをする様子が描かれている。彼女の話す日本語も独特、という設定なのだが、それについて黒田先生はこう書いている。


  ちなみにキリレンコ家の老婆は非常に教養が高いものの、だいぶ奇妙な日本語を話す。実をいえばこれもまた、いかにもロシア人やウクライナ人らしい日本語の癖が反映されているのだが、ここで詳しく分析することは控えたい。(『物語を忘れた外国語』p.55)


 専門家の黒田先生をして「癖が反映されている」と言わしめるのだから、よく特徴を捉えているのだろう。それが分かって読めればより面白くなるのだろうが、こればかりは当面、自分の不勉強を嘆くしかない。


 最後に、一連の「お婆ちゃん」の台詞回しの中で、一番好きなものを挙げておく。ペテログラード(サンクトペテルブルク)の宮殿の話になり、当時のことを思い出して興奮気味に話された言葉だ。たしかに独特な日本語だが、気持ちがよく伝わってくる。


  「わたし達の家、ツァルスコエセロの宮殿大変近いごぜえました。ツァー、馬車お乗りになりますね、ツァルスコエセロの宮殿出ていらっしゃいますね、それわたくし、毎日々々見ましたごぜえます。ツァー、お話しになるの声、わたし聞くこと出来た思いましたごぜえます」(『細雪・上』p.157)

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