• こもれびスタッフ

永遠不滅なもの




 勤務している会社で在宅勤務が始まって、早くも半年以上が経過しました。始まった頃は「会社に行かなくて済むなんて最高!」などと呑気に思っていましたが、半年も経つともはや目新しさもなくなり、日曜日の夕方は「明日からまた一週間が始まるのか…」という絶望感に襲われます。改めて、慣れというものの恐ろしさを実感しています。1日も祝日がない 10月のカレンダーを見て、軽いめまいに襲われました。

 勤務形態が変わったところで仕事内容は変わりはなく、むしろこれまでは会社で「今日はもう遅いから帰ろう」と切り上げられていたものが、「キリのいいところまで進めよう」と遅くまで仕事をしてしまう事態に。これはどうやら、周りの人も同じような状況のようです。


 そんなわけで、最近は仕事で体力と気力を使い果たしてしまい、本を読む余裕もほとんどありません。それらしいことと言えば、「趣味と実益を兼ねて」という言い訳を自分にしながら、この数ヶ月は毎日1時間ほど、中国の歴史ドラマを観ることだけです。おかげで、日常生活ではほとんど使う機会がないであろう、皇帝への拝謁の仕方や決まり文句などに詳しくなりました。「拝謁検定」なるものがあったら、それなりに高得点を取れる自信があります。あ、それから、インターネットで中国中央電視台(CCTV)の放送が自由に観られることを知り、時々、仕事をしながらラジオ代わりに流しています。今、中国は国慶節の大型連休で、すっかりお休みムード。羨ましい限りです。


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 そのような中ではありますが、先日の「原文を味わってみる読書会」で、3ヶ月にわたって読んできたヴァージニア・ウルフ『フラッシュ』が一段落しました。改めまして、たくさんの方にご参加いただけこと、御礼申し上げます。


 私自身、ウルフの英語を読むのは初めてだったのですが、これまで同読書会で読んできたマラマッドやトレヴァーの文とはまたひと味違い、色々と考えさせられることが多かったです。例えば、最終回で改めて議論になったのは、”She was woman; he was dog.”という一文。「”woman”と”dog”が対置されているのはなぜか」、「それぞれに冠詞が付いていないのはなぜか」といった文法的な疑問から、かつてのウルフの読まれ方・最近の読まれ方という話になり、大いに盛り上がりました。読書会の場には「正解」を持っている人がいるわけではないので、それぞれが思ったことを提示して意見を交わし、それを後日反芻してみる、ということになります。しばらく考えているとまた新たなアイディアが浮かんできたりして、これがまた、なかなか面白いです。

 また、"unhappy"という語について、ついぼんやりと「不幸せ」とか「不幸」という訳語を当ててしまいがちですが、それらの言葉は日本語としてはいかにも据わりが悪く、硬い感じがします。皆さんで最終章の最終段落を翻訳してみた際、その後に「みじめ」という語を当てていらっしゃる方がいて、膝を打ちました。聞くと、当時の女性が置かれた社会的状況も考え、その語を選んだそうです。


 今回の『フラッシュ』の会は、これまで以上に多くの方にご参加いただきました。そうすると当然ながら様々な関心を持つ人が集まることになり、繰り広げられる話も多様になります。

 例えば今回は、演劇をされている方にご参加いただきました。その方は、「この作品を舞台にするならどんな切り口で、どんな演出にするか」ということをお話しくださり、とても勉強になりました。また、英語で書かれた様々な演劇作品もご紹介いただき、恥ずかしながら演劇方面にはまったく疎い私は、目から鱗が落ちる思いでした。


 何作品かご紹介いただいたので、さっそく翻訳を買い求めました。まず読んだのは、ソーントン・ワイルダーの『わが町』。ワイルダーの名前は聞いたことくらいはありましたが、実際の作品は読んだり観たりしたことがなかった、という事実が、私のレベルを物語っています…。


 『わが町』については、『フラッシュ』における「話法」の話から、「『舞台監督』という役がいて、はじめに舞台に出てきて観客に状況説明をしたかと思うと、舞台上の人物と会話を始めたりするんですよ」、「それまでの演劇はテレビの画面を観るように枠組みの仲で展開されるもの、というものだったのが、ワイルダーなどがその枠組みを壊しにかかったんです」という演劇論・演劇史のお話を参加者の方がしてくださったのです。それを踏まえて読んでみると、たしかに舞台監督の振る舞いは観客と舞台上の人物たちの垣根をあいまいにするものだし、観客を舞台上に取り込む演出は枠組みを超え出たものでした。そういった演出は、今の時代から見ると特段目新しくもないでしょうが、1930年代のアメリカでは大いなる驚きをもって迎えられたことは想像に難くありません。

 そうした形式的な面ばかりではなく、内容的にも興味深いものでした。途中まで読むうちに、最後の第3幕で何か重要なことが語られるのだな、という予感がしてきますが、実際に第3幕を読んでみるとその通りでした。そこで語られることは賛否両論あるでしょうし、私もすぐにそれについて感想を述べることができません。ただ、間違いなく印象的ではありました。特に印象的だった一節を、以下に引いておきます。舞台監督の台詞です。



 「ところで、だれもが知っていながら、めったにそれを取り上げて考えようとはしない事

柄がありますよね。どこかに永遠不滅なものがあるということは、みんなが知っている。家でもない、名前でもない、地球でもなければ星でもない……しかし、どこかになにか永遠不滅なものがある。そしてそれが人間とかかわりがあるのだということは、だれもが感づいているんです。過去五千年のあいだ、この世の偉人たちがたえずそれを教えてきた、それなのに、驚くことには、人びとはいつもそれを取り逃している。だが、人間はだれにでも、ずうっと、奥深いところに、永遠不滅な部分があるんですよ。」


ソーントン・ワイルダー(著)/鳴海四郎(訳)『わが町』(2007年、早川書房) p.112


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 次回の読書会は、英語を離れた「特別編」を予定しています。取り上げる作品は、俳人・小津夜景さんの『カモメの日の読書 漢詩と暮らす』(2018年、東京四季出版)。

 11月に新刊『漢詩の手帖 いつかたこぶねになる日』をこもれびご近所の素粒社さんから刊行される小津さんの前著を、様々な角度から味わってみたいと思います。


 お申し込みは、以下のPeatix経由、もしくはcommorebi.books@gmail.comまでお願いします。

 https://peatix.com/event/1658930/


(小津さんの新刊については9月のブログにて書きました。)

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