- こもれびスタッフ
辛さはお選びいただけます。
こもれび宛にA4サイズの封筒が届いた。表には大きな字で塾の住所と、僕の宛名が書いてある。裏にはやはり大きな字で差出人の名前があった。黒田…龍之助?…何事?
どうしたんだろうと思い封を開けると、一冊の雑誌が入っていた。よく見てみると付箋が挟まっていたので、そのページを開く。すると一枚の紙が入っていた。
〝 月刊誌「英語教育」10月号に君のことを書きました。ご笑覧いただければ幸いです 〟
なんですって…?
雑誌「英語教育」で連載をはじめた、という話は以前お伺いしていた。でもそれに僕のことを?まったく聞いていなかったので、本当に寝耳に水だった。
(雑誌情報はコチラ → https://www.taishukan.co.jp/book/b477958.html)
さらによく見ると、付箋が貼ってあったページはその連載に充てられたページだった。
「ヒビキくんの話をしよう。」
第一文目がこれだ。僕は嬉しさと期待と緊張と心配が入り混じった気持ちを喉のあたりに感じながら続きを読んだ。
「ヒビキくんはフランス語教師だ。2年前に大学を卒業したんだけど、就職はせずに、友だちと塾をはじめて、中高生向きに国語、数学、英語のほか、希望者にはフランス語も教えてる」
“塾” というのはもちろん、弊塾こもれびのことだ。一度足を運んでくださったこともある。 (ちなみに国数英 – もちろんフランス語も – 大人の方にも教えている)
https://www.commorebi.com/krdrnsk
「ヒビキくんは音の響きを大切にする。ダジャレじゃないよ。そもそもヒビキくんというのは本名だ。彼はフランスで懸命に勉強し、フランス語の発音もそれは上手い。だから教えるときも、やっぱり発音を重視する」
こう書かれるとなんだか恥ずかしい…のだが、ここまで読んで、どうやら僕に対する恨みつらみを書いているわけではなさそうだということがわかったので、ひとまずホッとした。
「ヒビキくんが面白いのは、厳しさのレベルを生徒自身に選ばせることだ」
あぁ、この話か!ようやく合点がいった。もう一年以上前になると思うが、黒田先生とお会いしたときに話したことだ。その時もどうやら感心してくださっていたのは伝わったのだが、それを覚えていてくれて、記事にまでしてくださるとは…。
(黒田先生と会うと、いつも別れ際に「今日も勉強になりました」と声をかけてくれる。こちらが勉強になることの方がずっと多いし、僕の話すことに耳を傾けてくださるだけでも恐れ多いのだが、それにしても自分よりはるかに経験も少ない若者に対して「勉強になりました」と言うことのできる大人がいったいどれだけいるだろうか。見習いたい)
話は本題へと入る。
「発音をどれくらい厳しく、細かく発音指導してもらいたいかは、カレーや担々麺の専門店みたいに「1カラ」から「10カラ」より選ぶ。あまり厳しくしてほしくない人は「3カラ」くらいを希望するし、発音がうまくなりたい人は「8カラ」で頑張る。すべては本人次第。これには感心したね。なんていい思いつきなんだろう!」
そう、これが以前、僕が黒田先生にお話ししたことだ。
「外国語の先生には、発音にやたらと厳しい人がいて、そうなると生徒が正しい発音をするまで、何べんでもやり直しを命じる」。実は僕も、気を付けないとこうなってしまう。自分が発音を大事にしていて、それにこだわるあまり、つい生徒にも同じレベルを求めてしまうのだ。
けれどこれは必ずしも歓迎されない。言葉を勉強するモチベーションは本当に人それぞれだ。フランス人のような発音で会話ができるようになりたい、と願う人もいれば、ただフランス文学を黙々と嗜みたいという人もいる。前者は否が応でも発音をがんばらないといけないけれど、後者にとってはどうだろう?「外国語で読書をしたい」という風に目的がはっきり決まっているのであれば、発音の良し悪しは二の次だろう。
でも生徒が何も言ってくれないと、ついつい発音を直してしまいそうになる。そんな厳しくなりがちな自分を抑制するために考案したのが「1カラ~10カラ制度」だ。“ネイティブ並み” を希望する人には10カラを選んでもらい、容赦なく発音の間違いを指摘する。少しでも母音が広かったり狭かったりしたら言い直し。でも自分で選んだんだから仕方がない。反対に「あ、自分3カラくらいで」と言う人には、多少テキトーな発音も目を瞑る。教える側の僕としても、この人は別に発音が上手くなりたいわけではないんだもんな、と納得しながら他のことにエネルギーを注げるので、我ながらいいシステムだ。
けれど実は、これには落とし穴がある。というのも、どのメニューを選ぶかによっては自動的に選べる「辛さ」に制限がかかるのだ。さっきの「読書」の話なんかは別にすると、実際ほとんどの場合この「辛さ制限」に引っかかる。それは生徒の “目的” が、たいてい「発音ができないとできないこと」だからだ。
いちばん多いのが「ネイティブと話せるようになりたい」「聞き取りができるようになりたい」「フランス映画を字幕なしで観れるようになりたい」といったもの。こういう目的でフランス語を勉強する場合、自動的に7~8カラ以上を選んでもらうことになってしまう。なぜかと言えばそれが、発音ができないと到底できないことだからだ。それは必ずしも「ネイティブ並みの発音」ができないといけないという意味ではなく、「ネイティブの発音を聞き取る」ために、自身も一定レベル以上で発音ができるようになっておく必要があるということだ (自分が発音できないことは聞き取れない、というのが僕の持論)。だから話せるようになりたいけど自分の発音は下手なままでいい、というのは、矛盾しているだけでなく非効率なのである。
それに、殊フランス語の場合、ただ文法を理解するためだけでも発音の理解が必須だ。勉強したことのある人ならわかると思うが、エリジオンや語形変化など発音に関連した文法規則は避けては通れない。これを「文法規則」として理解し覚えるのもけっこうだけれど、「発音規則」として、実際に自分で発音してみながら覚えていった方が有機的だし、そして何より効率的だ。そう、ただ読むための文法にも発音の理解は欠かせない。
あれ?辛さは生徒に自分で選んでもらう、という話だったのに、気づいたら結局また発音に厳しい先生になってしまった…
ということで、激辛専門店へようこそ。
(でも優しいので水はいっぱい用意してあるし、ラッシーとかデザートとかもあります)