語りかけてくる言葉


こんにちは、志村です。


先月末には無事「こもれびより Vol.3」を開催し、たくさんの方にお越しいただきました。

参加してくださった方々、ありがとうございました。


こもれびスタッフ塚本によるレポートはこちら、ぜひご一読ください。

https://www.commorebi.com/commorebiyori3


さて、今回のテーマは「数学は言葉」

言葉は何かを “伝える” ためのもの、という前置きのもと、 

数学もまた何かを伝えるもの、つまり言葉なんだ、という話をしました。

参加者のみなさんからも様々な意見をいただいて、実りのある会になったと思います。

 

今回はこのイベントをきっかけに気づいたこと、考えたことを書いてみます。



本好きのNさんはこう言います。

「数学が言葉、というのはわかりました。だから、言葉は好きだし数学も好きになれそうなんですが昔からいまいち数式が頭に入ってこない…」


これを聞いて、何かあるな、と思いました。

僕はというと昔から数学が好きで、数式という “数学の言葉” は最初から受け入れられた。

でも、、、



ピアノ講師のMさんはこう言います。

「なるほど、言葉が伝えるためのものだとしたら、楽譜も言葉ですよね」


そうそう、それな。とってもわかります。

「これはド」とか、「だんだん強く」とか、楽譜も確実に喋っています。

ただ、普段 “言語の言葉” である “文法” には口うるさい僕ですが、“音楽の言葉” である楽譜が読めません。趣味で少しだけピアノを弾いても、全部感覚で片付けてしまう雑な始末。

語学には基本文法が大事なようにピアノには楽譜が大事。というのを、頭では痛いほどわかっていても、です。



Kさんはこう言います。(Kさん、あなたを一言で形容する言葉はやっぱり見つからない…)

「わたし語学は苦手意識があって。まぁたくさん覚えなきゃいけないのがめんどくさいだけなんだけどね。てへへ。でも最近は手話に興味があって」


旧知の仲であるKさんに僕はよく「英語の得手不得手と語学のセンスはまったく関係ない」と言っていましたが、そうか、そもそも音声言語があまりそそらないのかな?

手話は歴とした言語であり、言葉です。目で見てわかる、手を使った記号体系があって、それを使ってコミュニケーションをしている。

僕も以前から少し興味がありますが、それは耳の聞こえない人たちの役に立ちたいというような殊勝な理由では一切なく、もっぱら言語学的な興味です。

Kさんはどうだろう。両方あるのかもしれないけど、何より「楽しそう」なのかな。


耳に障害を持った人たちの言葉である手話に耳の聞こえる人が関心を持つことは、不謹慎でもなんでもないでしょう。

発音がかっこいいからドイツ語をやる、文字が変わってて面白そうだからロシア語をやる、そのくらいの動機で手話を始めるようなこともあってもいいのではないかと思うのです。



かく言う僕も、フランス語を始めた理由はとてもシンプルでした。

もちろん数え上げればいくつか理由はありますが、はじめた当初あれだけ夢中になれたのも、これだけ長く続けられているのも、たぶん「なんとなく好きだから」に他なりません。

尊敬する水林章先生は « j’ai épousé la langue française » (私はフランス語と結婚した) といようなことをおっしゃっていて、僕の場合そこまでではありませんが、気持ちはわかります。

フランス語とは今は適度な距離感で好きなところもそうじゃないところも言語化できますが、出会った当初は “なんとなく” 、音の感じが、目で見たときの字面が、肌に馴染んだのです。端的に言えば “タイプ” だったのかもしれません。



話が四方に飛んでしまいましたが、まとめます。


僕は最初から数学が好きでした。数学の言葉である “論理” とは相性がいいみたいで、だから “文法” ともあまり喧嘩せずに仲良くやれます。

なのに、なぜか、“楽譜” は読めない。いや、正確には、「読む気が起きない」のです。スパイの暗号じゃないんだから、勉強すれば楽譜は読めるようになる。だけどそうしようと思わない。つまり楽譜は僕に「語りかけてこない」んです。


反対に、フランス語は最初から、僕に語りかけてきました。

もちろん意味なんかわかりません。けれど「意味をわかってくれ」という声が聞こえる。そのためになんとかしようと思わせる何かがあったのです。

意味は伝わらないけど、伝わる前から “通じていた” 。


言葉の文脈では「伝わる」と同じ意味で「通じる」と言うことがあるけど、よくよく考えればこれには順序があることがわかります。

まず、自分と対象が「通じ」なくてはならないでしょう。橋をかけ、道を整備するのです。

そしてその上を何かが渡ることによってはじめて「伝わる」のです。


Nさんにとっての本の言葉も、

Mさんにとっての楽譜も、

Kさんにとっての手話も、

僕にとってのフランス語も、


「語りかけてくる」時点で、すでに「通じている」んだと思います。

道が通じたら、伝わるまではあと一歩。


逆に全く「通じない」、

つまり「語りかけてこない」言葉を勉強することほどつらいものはありません。

学校で習う英語は一体どれくらいの人に「通じて」いるかな。


その人に「語りかけてくる言葉」は必ずどこかにあるし、

それはその人にしか、見つけられないものだと僕は思っています。


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