• こもれびスタッフ

弾を詰める

語学教師にとって、学習者の悩みを聴くのも一つの仕事と言えるでしょう。


舌を使わなくていい発音でどうしても舌が動いてしまう、とか、関係代名詞がどうしてもうまく使えない、といった悩みに対しては教師の腕の見せ所なのですが、なかにはいやぁ、そう言われても、という種類のものもあり、その一つが


「言いたいことが咄嗟に出てこない」


です。


これに対する僕の答えは決まっています。


「当たり前です」


弾の入っていない銃をしげしげと見つめながら「全然撃てない…」と深刻そうに言われても、むしろそれで撃てると思っている方が不思議なわけで、だから、苦手です。


と言ってしまっては身も蓋もないので少し考えてみると、なぜ「言いたいことが咄嗟に出てこない」というフレーズはかくもありふれた悩みたりえるのでしょうか?


できないはずのことができない場合には悩むこともありません。できるはずのことができないから悩むのです。つまりこの悩みを口にする人は、やはりその銃を手に持って「撃てる」と錯覚していることになります。


ではその錯覚の元はどこかと言えば、“母語” です。

人は普段、軽々と母語のライフルを振り回し、四方八方に言いたいことを乱射しながら生きています。それが「言葉を自由に扱える」ということの究極状態です。

その感覚を体が知っているから、外国語の銃に持ち替えたときの、あまりのぎこちなさにうろたえてしまうのです。


同じ銃なんだから撃てる気がする。だけどなんだか手に馴染まない、軽いのか重いのかもよくわからない。なんで撃てないんだろう?と気に病んでしまう。たしかに形も違うだろうし、トリガーの位置も同じではないでしょう。それにはそれで慣れないといけませんが、何より重要なのはやはり「弾」です。


おそらく「咄嗟に出てこない」と嘆く人がやっているのはこういうことです。目の前に的がある。それを撃つのに最適な弾が一つだけあると思い込んでいる。それをカバンの中からガサゴソと探す。いつまでも見つからない。目の前に視線を戻すと、もうそこに的はない。


では反対に、「咄嗟に出てくる」人はどうでしょう。目の前に的がある。弾倉にはいつでも撃てる弾が二つ三つ入っている。それに加え、その的を撃ちぬくのに適した弾を予備のストックから素早く何個も取り出せる。そして手持ちの複数の弾の中から最適なものを瞬時に選べる、だけでなく、「最適な弾」が見つからない場合は他の弾で代用できる。


こう書くと、そんな大変なことできるわけがない、と打ちのめされてしまいそうになります。けれどこれこそまさに、母語で喋っているときに誰もが普通にやっていることなのです。


なのでとにかく、「弾を詰める」しかありません。


でもどうやって?


これは長くなるので直接聞いてください。

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