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差異について

「言語には差異しかない(Dans la langue il n’y a que des différences.)」

と言ったのはかの高名な言語学者ソシュールですが、そんなことを実感する出来事が、最近通い始めた自動車運転教習所でありました。


ニュースで話題になるくらいの大雨が降った六月のある日、僕は朝から教習所へ向かっていました。そんな雨にもかかわらず、その日は技能教習の第10回目(くらい)ということで傘の収納に難儀しながら乗車。 

内容は今までの復習が主で、左折、右折、坂道発進や安全確認などがしっかりできているか見ながら、教官に助手席に乗ってもらい走行練習をしました。

まだ「第一段階」といって教習所内のコースを走るだけですが、その中での軽い難所に「クランク」と「S字路」があります。

二つまとめて「狭路」というみたいですが、ようするに狭い道をはみ出さずに通ってみろ、という課題です。

「S字路」はその名の通りSの形をした(つまりカーブが二つ連なった)コースで、「クランク」は直角の曲がり角が二つ連なった道をジグザグ進むコース。

実際にやってみると、「クランク」の方はわりと難なく走行できるのですが、どうやら「S字路」の方が苦手らしいということがわかりました。外側にぶつけるのが怖くて内側に寄せ過ぎてしまうのです。

そこで教官に言われたのがこんなアドバイス(?)

「ほら、S字路とクランクは違いますからね、名前が違うのに曲がり方が同じだったらおかしいでしょ、だからS字路のときはクランクと同じようにハンドル切っちゃダメなわけですよ」

いやぁだって、ラーメン屋に行ったときもね、メニュー名が違うのに同じ味のラーメンが出てきたら困るじゃない、、、という喩え話を自信満々に披露されたときはどうしようかと思いましたが、とにかくそう、この教官は終始「差異」の話をしていたのです。


「言語には差異しかない」というのはどういうことか。

簡単に言えば、ソシュール曰く、言語とはシステムであり、そのシステムの内部における記号の「差異」に意味が宿るのであって、さらに言えばそこにしか意味は宿らない、ということです。

わかりやすい例としては、日本語で「水」と呼んでいるものを英語では « water »、フランス語では « eau » と呼びます。しかしこれらは日本語、英語、フランス語というそれぞれの「システム」の中でまったく同じ振る舞いをするわけではありません。英語とフランス語でも違いがあるでしょうが、日本語との間にはより明確な違いがあります。それは、« water »、« eau » と比べても、「水」は基本的に「冷たい水」を連想させるということです。英語とフランス語では、水の温度が高い場合も(日常的なレベルで)同じ単語を使います。しかし日本語では、「温度が高い水」のことは「お湯」と別の名称で呼びます。このように異なる単語が介入することによって、似た意味の単語同士に「差異」が生まれ、それが個々の単語の意味を決定づける肝要な要素になります。


話を教習所に戻しましょう。

後日、僕は第一段階修了の証としていわゆる仮免試験を受けることになりました。学科試験の前に技能試験だったのですが、始まる直前に参加無料の講習があるというので行ってみると、例の教官が教室に入ってきて話を始めました。

ここでも、一時停止のやり方、踏切の渡り方など基本的なことの確認です。少し退屈だなぁと思いながら聞いていると、質問が降ってきました(名指しされたわけではありませんが)。

「はい、ここはカーブになっていますね。徐行の必要はありますか?」

あれ、どっちだっけ、と一瞬考えていると

「ないですね。曲がり角じゃないですからね」とすぐに解答。

曲がり角はそりゃ、当然徐行しますけどね、せっかくスピード上げても毎回カーブで徐行してたら意味ないでしょう。なんのために名前が違うんですかって話ですからね。

彼はおそらく、こういう説明の仕方が好きなのでしょう。自分ではそのつもりはないかもしれませんが、言語の本質的なところを車の教習に持ち出しています。

呼び方が違う、そこに差異がある、それは名前の違いに留まらない、具体的な行動の違いを引き起こすことになる。

とても納得したからこそ、ラーメンの話はもう少しがんばってほしかったなぁ。




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