• こもれびスタッフ

外国語という物語





先日、こもれびにお届け物が。

差出人はなんと、黒田龍之助先生。おや?

中を開けてみると、そこには文庫本が三冊。しかも各本の扉には、僕含めスタッフ三人分の名前、黒田先生ご本人のサイン、そして日付が記されているのでした。





『物語を忘れた外国語』。

もともと単行本が2018年4月に出版されており、ちょうどその時期はこもれびが国分寺に移転したばかりで、黒田先生のご著書をせっせと読み漁っていた時期なのでした。なので当時の感覚では「新刊」だったのですが、そのあと不思議なご縁から(と言っても僕が積極的に近づいていったのですが…)親交を深め、文庫版が発売された暁には黒田先生じきじきに本をご恵贈くださるなど、まったく想像できない未来でした。


と、浮かれてばかりおらず内容を見てみると、もちろん単行本の方はすでに読んでおりましたが、文庫化にあたって追加されている章がありました。

「長い長い外国語の話」と題されたその章を読んでみると、書き出しにこんな文章が。


〝物語はひとつの結末を目指しながら、ときには迷ったり、横道に入り込んだりする。長ければ長いほど、うねうねと進む。

 その進み方は、外国語を学ぶときと変わらない〟 


ここを読んで、頭の中のシナプスが繋がりました。


と、その前に。

『物語を忘れた外国語』はそのタイトルが示す通り、外国語を通して触れる「物語」、とくに「外国語文学」や「小説」とその楽しみが主題となる本です。


〝言語学がどれだけ物語から離れようとも、語学から文学への道を歩んでいく学習者はこれからもいるに違いない。検定試験漬けで会話至上主義の空虚な外国語環境に潤いを与えてくれるのは、誰が何といおうと物語しかないのだと、わたしは堅く信じている〟( 「はじめに」 新潮文庫版 p.18)


と書かれているように、全体を通して、著者である黒田先生が「物語」に託した希望が描かれています。もう一箇所、本書のエッセンスとも言えそうな部分を長いですが引用してみます。


〝読みながら、物語の本筋とは別にその地域らしさが何かないか、その地域特有の表現がせめて片鱗くらいは残っていないかと、ついつい追い求めてしまう。

 そういうとき、頭にスッと入っていきすぎるとつまらない。

 最近の小説には、ユニバーサルというか、世界のどこでも起こりそうなテーマのものがすくなくない。そのほうが広く受け入れられ、読者は国境を越えて共感するのだろうか。さらにはノーベル賞にも繋がるのかもしれない。この傾向はグローバル化が進む現在、ますます強まることが予想される。

 だが、わたしの好みではない。

 わたしはその土地に根差した小説が好きである。歴史背景や文化事情が濃厚に反映していて、外国人がただ読んだだけでは容易に理解できない物語。そういうのがいいのだ〟(第五章「砂の器の日本語の器」新潮文庫版 p.67 )


さて、シナプスの話です。


僕も以前から、外国語は物語なんじゃないか、と思っていました。より正確に言うと、「終わりのない本」なのではないか、と。物語と外国語、その二つに共通するのは、「ページを捲らないと進まない」ということです。千里の道も一歩から、ならぬ、千ページの物語も一捲りから。


文庫版に寄せられた林巧さんによる解説にはこうあります。


〝ひとつ思うのは、言語獲得期を過ぎてからの外国語習得に魔法はないということだ。聞けばびっくりするくらい地道で真面目な努力を、今現在の彼も日々積み重ねている。著作に書いているように、そうした営為がもたらす日々の“風景”の変化を楽しめる人だけが、いずれ外国語を習得できるのだろう〟( 「物語と外国語と旅 ― そして、ささやかな日常とビール」 p.221-222)


この「日々の“風景”の変化」というのも、ひとつの「物語」だと言い換えられないでしょうか。ページを捲るということは、時間を進めること。そして一ページずつ前に進んでいく風景を眺め味わうこと。外国語という結末のない物語は、本と同じく、いつも、誰かが開くのを待っているのでしょう。   

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