• こもれびスタッフ

中動態と世界

こんにちは、志村です。


最近、とある本にハマっています。


より正確に言うと、とある “態” にハマっています。


ここでお気づきの方もおられるかもしれませんが、

その本とは國分功一郎著『中動態の世界 意志と責任の考古学』(医学書院) です。

出版は去年で、一時期話題になりずっと読んでみたいなぁとは思っていたところ、

我らがこもれび飯野講師が持っていたので、借りて読んでいるところなのです。

まだ読み終わってもいないのですが、

熱の冷めないうちに自分の関心とも結びつけながら少しまとめてみることにします。


さて、さっそく気になるのが “中動態” 。

古代ギリシア語などに存在していた文法事項の一つとのことですが、

耳慣れない、ほとんどの人にとっては初めて目にする単語だと思います。

ただ、似ている単語は知っているはずです。

“能動態” とか “受動態” は、聞いたことがあるはず。

この “態” (ヴォイス) とは言語学用語で、

ある動詞とその行為者(あるいは被行為者)との関係を示すものです。

そう聞くと、なるほど中動態は能動態と受動態の“中”間なのか、と合点がいきます。


ここに落とし穴があります。


少し引用をすると、

「もともとは能動態と中動態の対立があったのであり、受動態は中動態の派生形として後から発達したに過ぎず、能動態と受動態の対立そのものが比較的新しい対立であるとすれば、まるで『能動態』と『受動態』の間にあるかのような『中動態』という名称は不似合いな感じがする。能動態と受動態があって、その間に中動態が位置しているように思えてしまうからである」(p.42)


詳しいところは本書を読んでいただきたいのですが、

かいつまんで要点だけ説明すると、

まずは「能動態⇔中動態」の対立(①)があって、

いずれ時が経るにつれ中動態が受動態にすり替わり、

現在の「能動態⇔受動態」の対立(②)になったということなのです。


②の対立はおなじみだと思います。

いわゆる「する」と「される」の対立で、僕たちが話す日本語もこの対立に則っています。

おなじみどころが、これが “当たり前” だと誰もが思っているところがポイントです。

問題は①の対立です。

「中動態」という言葉を定義するのが難しいことは、本書でも繰り返し述べられます。

かなりおおざっぱに言ってしまえば中動態は能動態の対義語であるとしか、

そして能動態は中動態の対義語であるとしか、定義できないからです。

(ここでわかっておかなければいけないのはこの対立においての「能動態」さえ、

受動態の対義語としてのそれとまったくは別物であるということです。)


「右」と「左」を定義するのが難しいことはよく知られています。

右は左の反対で、左は右の反対であるとしか言えないからです。

中動態の定義の難しさにも、通じるところがあるかもしれません。


少し話がややこしくなってきました。

つまり、ここでやらなければいけないのは、

僕たちが当たり前に認識している「する」と「される」の関係とは違う、

まったく別の力学で見える対立関係を考えることです。


たとえば僕たちの生きている地球では、重力は下に働いています。

あるいは、重力が働いている方向をこそ「下」と呼ぶわけです。

その反対、つまり重力に逆らえば「上」、この対立は明らかです。

中動態について考えるのはだから、

「左右に働く重力(のようなもの)」を考えることに近いしれません。

そんなの無理だと思うでしょうか。

でも、中動態は昔の言葉には “普通に” 存在していたそうです。

字面だけ見ればなんだかエラそうですが、僕たちが今、

「え~告ったの?告られたの?」とか話題にするようなノリで、

かつての能動態と中動態も区別されていたはずなのです。



さて、僕は本を読んで中動態の何たるかをある程度知ってしまいましたが、

まだ知らない方のためにも、気になる例を挙げながら一緒に考えてみたいと思います。


ついこないだ、テレビでとある高校生俳人のドキュメンタリーを観ていたのですが、

彼がどこかの中学校に出向いて講演をしたとき、こんな質問が飛び出ました。

「上手く俳句を作るコツは何ですか?」

すでに中動態にハマっていた僕は、まっさきに違和感を覚えました。なんだかな。

俳人はこう答えます。

「わりと直観的に書けてしまうから、コツとかはないです」

これに対し司会の先生が、

「要は俳句の題材になるようなトピックを見つけられるか、この違いなんだよ」

と上手いことフォローを入れていました。

(記憶を辿りながら書いているので不正確な部分もあるかもしれません…)


ここで僕が抱いた違和感の正体は、「俳句を “作る”」というところです。

目の前に一枚の紙があり、私がそれで鶴を折るとき、

私は折り紙で鶴を “作っている” ことになるし、

また、その鶴は私によって “作られた” ものです。

ここにはコツのようなものがあるように思えなくもない。

ただ、折り紙で鶴を作ることと彼が俳句を作ることには、

字面からは見えない大きな隔たりがあるだろうと思ったのです。


とくに芸術関連だと、こういうシーンに多く出くわします。

「素敵な歌詞ですね。あれはじっくり練ったものでしょうか、それとも降りてきたもの?」

「あの特徴的なメロディはどのようにして思い浮かんだのですか?」

俳句にせよ詩曲にせよ、それを生み出すとき僕らは “作る” という言い方をします。

でもはじめは何もなかったところに、どうして詩やメロディが生まれるのでしょう?

もとからあった紙が変形して鶴になるのと、それは同じ現象なのでしょうか?

本当に同じ動詞を使って表せるような事柄なのでしょうか?

その矛盾に恥じ入るように、

「降りてくる」とか「思い浮かぶ」とか言うのはどうしてでしょうか…?


ここで中動態の出番です。


種明かしをしてしまえば、

著者によると、中動態は以下のように定義され得ます。

「『能動では、動詞は主語から出発して、主語の外で完遂する過程を指し示している。これに対立する態である中動では、動詞は主語がその座となるような過程を表している。つまり、主語は過程の内部にある』(バンヴェニスト、千九六六年)」(p.81)

他にも数々の研究者が提案してきた中動態の定義を比較したうえで、

「だとすると、注目するべきはどの定義であろうか?答えは明白である。先の定義のうちで検討に値するのは、エミール・バンヴェニストの手による中動態の定義である。

 バンヴェニストだけが、能動態との対立において、かつ、能動態それ自体を再定義しつつ中動態を定義している。言い換えれば、彼だけが、現在のパースペクティブを相対化したうえで、能動態と中動態を対立させていたパースペクティブの復元を試みている」(p.83)

というのが著者の見解です。


このバンヴェニスト(フランスの言語学者)の定義で対比させられているのは、

「する」と「される」とは全く関係のない、「外」と「内」の構図です。

「主語の外で完遂する過程」、これはつまり私の “外側で” 作られる折り鶴です。

「主語がその座となるような過程」はつまり、彼の “内側で” 作られる俳句です。

中動態における “座” というのは、“場” のことです。

これは主語が動詞の場となって、その中で行為が遂行されることを言うのです。

だから中動態の中は “中間” ではなく、外との対比での “中(なか)” という意味なのです。

そして中動態を使う限り主語と動詞は内包関係にあって、“不可分” だとも言えそうです。



最後に、中動態を通して考えたい動詞があります。

それは言葉を使う、つまり「話す」ことです。


「私は日本語を話します」と言ったら、それは能動態だと言えますし、

ひっくり返して「日本語は私に話されます」と言ったら受動態です。

だけど果たして、日本語は私の “外” にあるでしょうか?

外にあるものを捕まえて、捏ねて形作って話すのでしょうか?

「日本語は私に話されます」の、得も言われぬ違和感の出どころはどこ?

そもそも「する」か「される」かの、

二つのものが向かい合った能動⇔受動の対立では、

主語が動詞の場となるような、

それらが一体となった不可分の状態を上手く表せません。


では言葉はあなたの “中” にあるものでしょうか?

きっとそうだと思います。あの単語もあの文法も知ってる。

あなたの中で渦巻いて、あなたを通して出てくるのが言葉です。

でも待てよ、“いつから” 言葉は、私の中にあるのだろう?

最初は外にあったはずのものが、だんだん中に入ってきたのかな。

だけど私の “中” から出てきた言葉は、私の “外” に行くのかな。

私が話す言葉は、やっぱりまだ私の “中” にあるよな。


こうやってどんどん突き詰めていってわかることは、

言葉は本当は “どこにもない” ということです。


言うまでもないことですが、

言葉はただのコミュニケーションツールではありません。

言葉は世界の認識の仕方そのものです。

だから言葉が変わったら、そこから見える世界も当然変わります。

見える世界が変わったら、当然あなたも変わります。

言葉を使うのでも、言葉に使われるのでもありません。

あなたは言葉で、あなたの言葉があなたなのです。


これを伝えるのは難しいなぁ、

僕らの言葉にもまだ中動態があったら、うまく言えそうなのに。

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