• こもれびスタッフ

ネイティブのいない語学学校


「皆さんは、これから雪山を登ろうとしている登山者です。ガイドとして一緒に山を登ってほしいのは、雪山の山頂で生まれ、山頂の景色しか見たことがない精霊でしょうか。それとも、一度頂上まで登りきってから麓まで降りてきた人、つまりは途中の道で気をつけるべきポイントなどが分かっている存在でしょうか」


これは2月23日に行った【こもれびより Vol.5】の際、みなさんとの議論の中でで僕がお話ししたことを、スタッフの根本がレポート内でまとめてくれたものです。

(レポート全文はこちら⇒ https://www.commorebi.com/commorebiyori5 )


語学学習を “雪山を登る” ことに喩えれば、語学学習者は “登山者” です。

登山者には2タイプいます。一人で登れる人と、そうでない人です。

「一人で登れる人」は体力があるので、自分で登っていくうちに良いルートを見つけたり、急な崖も工夫して乗り越えることができます。語学で言えば、独学でもなんとかなってしまうようなタイプです。(レポートにも記載がありますが、【こもれびより】参加者のおひとりが自分の英語学習を振り返って「ひたすら走ってて、気づいてたら登っていた」というようなことをおっしゃっていて、とても感心しました)

ただ、それほど体力があるのは一握りで、多くの人はやはり “付き添い人” を必要とします。登りやすいルートを教えてくれたり、落石などから身を守ってくれるような存在ですが、これが “語学教師”、ということになります。


仕事柄「いい語学教師とはどんな人か」を常日頃考えているのですが、いわゆる “ネイティブ神話” にはかなり懐疑的です。「ネイティブ教師」を批判したいのではなく、「“ネイティブだから” いい教師だ」という風潮を批判したい。

だから中央線に乗っていたとき、とある大手の語学学校の車内広告に「講師は全員外国人」と書いてあるのを見つけたときには、これがキャッチコピーになってしまう現状に大いに悲しくなりました。


どうしてこれほどまで、ネイティブ信仰は厚いのでしょうか?


まず考えられるのは「発音」です。

たしかに、日本人から発音を習うことに抵抗を持つ人は少なくないでしょう。できることならネイティブに習いたいと思うだろうし、“ネイティブ並みの発音” ができる日本人があまり多くないというのも事実でしょう。

ただ、僕たちが苦労しているその発音を、ネイティブは赤ちゃんのころから耳にして、間もなく口にするようになります。たぶん一度もそれを「難しい」と思ったことはない。「難しいと思っていることをわかってもらえないこと」は、なかなかつらいことじゃないでしょうか。


次に考えられるのが「語彙」。

当然、外国語としてその言葉を身につけた日本人教師が、語彙においてネイティブを上回るというのはほぼあり得ないでしょう。でも、ネイティブに何か単語を尋ねたとして、それは本当に「教わっている」と言えるでしょうか。対応する日本語との違いまで、話してくれるでしょうか。


これは詰まるところ、「教えるとは何か」という問いになってしまうのだとも思います。

教えるって、知識を与えること?説明をしてあげること?応援してあげること?

一番大事なのは、最後の「応援してあげること」だと思います。適切なモチベーション管理ができるか。せっかく灯った火を消さないであげられるか。でも、これができるかできないかはそれこそネイティブか日本人かはあまり関係ない。


むしろ違いは「知識を与える」ことと「説明をしてあげる」ことの間にあります。

“教える” とは、つまりどういうことなんでしょうか…?


ところで実は、英語の « know » にあたる動詞がフランス語には二つあります。

« connaître » と« savoir » という別の動詞を文脈に応じて使い分けるのですが、この違いがヒントになりそうです。

これらの使い分けはフランス語の中級者でも苦労するのでここでは深入りは避けたいのですが、ごくシンプルに言えば « connaître » が静的かつ点的なのに対し、 « savoir » は動的で線的です。「知識」のことを « connaître » から派生して « connaissance » と言いますが、これは何か知っている事柄が点在している様子を表すものの、その中に “動き” はありません。対して「知恵」というか、いわゆる「ノウハウ(know-how)」のことをフランス語では « savoir-faire (するを知る)» と言ったりします。

« know » は「知る」とも「わかる」とも訳せますが、あえてこれになぞらえるのなら、どこに何があるかを “点” の状態で「知っている」状態を « connaître »、点と点を繋ぐとどうなるかを “線” の形で「わかっている」状態を « savoir » 、と言うこともできるでしょう。


「知識を与える」とは、「見せる (英:show、仏:montrer)」ことです。新しいもの、見たこともなかったものを「見せる」。でも、それでおしまいです。それにどうやったら触れられるか、そこにどうやったら辿り着けるかはわかりません。それに「見せる」にもいろいろあって、直接見ていたと思ったら実はスクリーン越しだったとか、フィルターがかかっていたということもよくあります。この到達点は « connaître » で、点的な知識です。


対して「説明をする」とは、「伝える (英:tell、仏:dire)」ことです。そしてもちろん、「伝える」には「ことば」が要ります。「相手にわかることば」で、伝え、導くことです。これがあってはじめて、教えられる側は線状の知恵として「わかる(savoir)」ようになり、「できる(savoir-faire)」ようになります。


「いい語学教師とはどんな人か」という問いに戻りましょう。


「知識を与える (→ connaître)」のが得意なのは、自ずとネイティブ教師でしょう。ネイティブは、雪山生まれの精霊です。一言話すだけで知らない世界が広がり、それは何らかの形で「知識 (connaissance)」として与えられます。でも気をつけなきゃいけません。彼らは山頂の風景を見せてくれますが、それは実は画面越しに見ているだけなのです。見たことのない景色が眼前にあっても、実際にそこに、すぐに辿り着けるようにはなりません。


対して「説明する (→ savoir)」のは日本人教師の方が得意でしょう。なぜなら「日本語」という、「伝わることば」があるからです。これが山を登るときの命綱になります。彼といても鮮やかな風景は見えないかもしれませんが、一歩ずつ登っていけば、そのときには “一人でも” 見たい景色が見れるようになる。そこにはもう、スクリーンもありません。


ネイティブには « connaître » の、日本人には « savoir » の、それぞれいいところがあります。その上で、僕の考えでは、“いい語学教師” とは「山頂生まれなのに、自分の足でわざわざ麓まで降りてきてくれる心優しき精霊」か「ある程度の高さまで自分で登った経験があり、山道をよく知り、後続を見放さない登山ガイド」のどちらかだと思っています。

だからネイティブの中にも日本人の中にも、同じだけいい教師も、そうでない教師もいるでしょう。僕自身 “いい教師” でありたいと思うし、国籍や母語に依らず、“いい教師” がちゃんと評価されることを望んでいます。


「ネイティブのいない語学学校」こもれびには、そんな想いを込めています。


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