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ことばとアイデンティティ



〝「国語」ってなんだろう。そうした問いを持たずに、大人になったことが少しだけ恥ずかしい。〟


これは先日発売されたばかりの『「国語」から旅立って』(温又柔 著) という本に寄せられた、ASIAN KANG-FU GENERATIONの後藤正文さんによる帯文です。


本のタイトルもそうですが、この帯文にかなりグッと来ました。

「国語」ってなんだろう、と問うのならば、ここで「大人」ってなんだろう、と問うこともできるでしょう。年齢的な大人なのか、精神的な大人なのか…、けれどここではあまり深入りせずに、単に “成熟した” と捉えましょう。

それよりも気になったのは「恥ずかしい」というワードセンスです。国語とは何か、それを問わずに “成熟してしまった” ことが「恥ずかしい」のです。


実はついこないだ、アジカンのライブを観に行く機会がありました。そのときゴッチ(後藤さん)がMCで「心は今でも少年だけどね」のようなことを言っていました。

ともすれば、中年に差し掛かったおじさんの寒いセリフにも取られかねないこの言葉を彼はいとも簡単に言ってのけるし、そう聞いて頷かせる音楽をも持っています。


本当に、「心は少年」なんだと思います。

だってそうじゃないと「恥ずかしい」なんて言えない。

僕がグッと来たのはここです。


そしてこの帯文はある意味、多くの “日本人” の気持ちを代弁しているとも思います。

それを言える勇気があるかどうかは別にするとしても、きっと「国語=日本語」という図式を疑わず、他の可能性に考えが及ばない自分をどこか後ろめたく思う、というようなことは誰しもどこかのタイミングであるのではないでしょうか?


フランス語を始めるまでは、僕もその一人でした。

いや、もっと正確にはフランス語をある程度話せるようになるまでは、です。


“普通”、という言い方には十分注意が必要でしょう。

ですがそれを承知で言えば僕はいたって “普通の日本人” でした。

日本で生まれ、日本人の両親を持ち、日本で育って日本語を話す。

“普通” という言葉がいまだ違和感もなく使われてしまうくらいには、こうしたバックグラウンドを持つ日本人がこの列島では大多数を占めているのが現状です。


まるで、日本人と日本語はセットみたいです。

うさぎに長い耳があるように、車にタイヤがあるように、美容師がハサミを持つように、日本人は日本語を話し、日本語を話すのが日本人である…。


“普通の日本人” は、よほど気を付けていないとそう思ってしまいます。

でもそうではないということに、僕はフランス語を勉強することでようやく気づけたのです。

18でフランス語を始め、二十歳の頃にはある程度話せるようになっていました。

だから僕は「大人になる」直前で、 “国語とは何か” と初めて問えたのです。


これは早いとも、遅いとも言えるでしょう。


『「国語」から旅立って』の著者である温又柔さんは、僕よりずっと早くこのことに気づけた、いや、気づかざるを得なかった人です。

彼女は台湾人の両親を持ち、幼少期の短い期間を台湾で過ごしました。しかし、両親と共に日本に移り住んで以来ずっと日本で、日本人の友人に囲まれて、日本語を話しながら育ったのです。


「母国語」と「母語」という言葉があります。「母国語」と言うのなら、台湾生まれであり国籍上も台湾人である温さんにとってそれは中国語でしょうか。そして「母語」も、母親が台湾人なのだからやはり中国語でしょうか。

けれど温さんは本の中でも繰り返し、自分がいちばん満足に使えて、いちばん安心できるのは日本語である、と書いています。それなら、「母語」は日本語でしょうか…?


僕の直接の友人にも、同じように “国語とは、母語とは何か” について早くから考えなくてはならなかった人がいます。

彼女は温さんとは反対に日本人を両親に持ちながら、幼少期から成人する直前までの時期のほとんどをフランス語圏(ベルギー、そしてフランス)で過ごしました。


彼女自身によるバイオグラフィー(的な記事)はコチラ↓

https://note.mu/erikooshima/n/nf128af5b8603


今でこそ強かで凛とした印象ですが、僕が彼女と知り合ってまだ二年も経っていません。

それまでにきっといくつもの、言語にまつわるアイデンティティの “揺れ” を経験してきたのだということを、言葉の端々から伺えます。

「私は自分が日本人なのかフランス人なのかわからなかった」

知り合って間もない頃に彼女が語ってくれたこの言葉は、温さんの言葉ともシンクロします。

「私は自分が日本人なのか台湾人なのかわからない」


こういうことを聞いて、「かっこいい」と思うでしょうか?

はたまた、憧れたりするでしょうか?

海外と行ったり来たり、それを羨ましく思うでしょうか。


もしそう思うのであれば、どうかゆっくり彼女たちの、

そして多かれ少なかれ似たような境遇を持つ人たちの言葉に、話に耳を傾けてみてください。

誰も楽してバイリンガルにはなれないし、「かっこいい」の一言じゃ括れないアイデンティティの危機と常に隣り合わせであるということに、想いを馳せてみてください。


じゃ、“僕たち” は?

日本で生まれ、日本語を話し、「自分は日本人である」と一度も疑ったことのないモノリンガル(一言語話者)の僕ら。


そう。それはそれで居心地が悪いのです。

僕は日本人、あなたも彼も彼女も日本人。“同じ言葉” を話す僕ら。

じゃ何が “違う” の?

違いすぎるのも嫌だし、どこまでも同じなのも嫌。

モノリンガルもバイリンガルも寂しがり屋のないものねだりで、

霧の向こうの “ちょうどよく普通” がいちばん心地いいんです。


「私以外私じゃない」らしいけど、その “私” はどこにいるのか。

ことばについて考えることが、一つのヒントになるかもしれません。





ということで、告知です!



来月22日(土)、今回の「こもれびより」のテーマは「国語」です。

スタッフの根本がはじめて講師を務める予定ですので、ご都合よろしい方はぜひ遊びに来てくださいね。



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