ぐらぐらの城


「いつでも同じことが言えそうですよね」


彼女は僕の目をまっすぐに見てこう言った。

考え方がしっかりしていて、揺るぎない意見を持っていますよね。

多少なりとも肯定的なニュアンスとともに、この言葉は発せられたはずだ。


————


金曜日の夜だった。


僕と、スタッフの根本と、都心で本屋を営むIさん。三人でできるだけ静かに話せる場所を探した。

カクカクした街並み。何度か直角に道を曲がると、まるで身寄りのない僕たちのためだけに数時間前に即席でこさえられたような、程よい静けさに包まれたお店を見つけた。

ついさっき他のお店を、雰囲気はいいが人が多くて騒がしいだろうという理由で諦めたばかり。

そこは少し不安になるくらい愛想のいい笑顔を浮かべた二人の女性店員以外ひとりも客がおらず、打ちっぱなしのコンクリートに、あちらこちらに置かれた植物が少し気味の悪い居心地のよさを添えていた。

こんな場所があったらな、と思い描いたイメージがそのままお店の形をして現れて、僕たちはたぬきに化かされてるんじゃないかと不安になりながらテーブルについた。


最初の方に出てきた焼いたズッキーニが美味しくて、僕たちの警戒はいともたやすくほどけた。もしかしたらここはいいお店なんじゃ?

話をしに来たのに、しばらくは食べることに夢中だったような気さえする。


本好きのお二人と、語学教師である僕と、話はもっぱら “言葉” についてだ。

本というメディア、体、それに乗って旅をする言葉。“言葉” という言葉は不思議だ。

「言葉がわからないと生活は大変」

「若者言葉がわからない」

「あの人の言葉が忘れられない」

「この言葉聞いたことある?」

同じ “言葉” を使っていても、その意味するところは少しずつ違う。

その違いが境界を作って、たとえばフランス語では上の四つをそれぞれ langue, langage, parole, mot などと区別する。これらを一語で表せる言葉は、フランス語にはない。


三者三様、辿り着く過程は違ったと思うが、言葉に関して共通した認識があった。

それは言葉が「ぐらぐらしている」ということ。

言葉が好きで、言葉と向き合い戯れようとする。でもそこにはいつ言葉に突き放されるかわからない不安もある。言葉は肝心なときに何も言ってくれないかもしれない。

でも、だから、言葉は面白い。


言葉は無力だ。今さら言わなくてもわかってる。

でもそれを言葉にして確認し合えることは、やっぱり喜ばしいことだった。


根本さんが言った。

「お二人の対談があったらぜひ聞いてみたいですねぇ」

いいですね~などと呑気に首を縦にふる僕を横目にIさんは少しうつむいて、でも私しゃべるのはあまり得意じゃないんですよね、というようなことを言っていた。そして、


「いつでも同じことが言えそうですよね」


彼女は僕の目をまっすぐに見てこう言った。

考え方がしっかりしていて、揺るぎない意見を持っていますよね。

多少なりとも肯定的なニュアンスとともに、この言葉は発せられたはずだ。


でも僕は少しの嬉しさと、それより少しだけ多い悲しさとともにその言葉を受け取った。

( Iさん、もしこれを読んでくれていたら。気を悪くしたとかそういうことではまったくもってほんとうに全然ないので心配しないでくださいね!)


たしかに僕はたぶん「いつでも同じこと」が言える。

たいていのことについて自分の答えを持ってしまっている。

そういうのをかっこいい、と言う向きも、もしかしたらあるのかもしれない。


でも僕は、あまり褒められたものではないとも思っている。

だって、それは目の前にいる相手との対話ではないからだ。


自分との対話が、僕は好きだし得意だと思う。

とくにフランスに留学していたとき、それはむくむくと培われた。

外に向けられた日本語のチャンネルは基本オフモードにして、あとは好きな歌と少しばかりの本から摂取した日本語を自分の中でひたすら反芻させた。錬成させた。

ああいう時期を持てたのは幸運なことだった。

自分との対話は、出来ないよりは当然出来た方がいい。


でも相手がいる対話は、自分との対話の結果発表会ではない。

それぞれの成果物をぶつけ合うのもそれはそれで面白いけど、本当の対話はそこで生まれて、そこで立ち上がってくるべきだ。

目の前の相手がいるおかげで、自分がそれまでの人生で一度も口にしたことのないような言葉が出てきた方が面白いに決まってる。


でもそれは案外難しい。

自分との対話で見つけた出口が見えてしまっているときは、なおさら。


僕だけではないのだろうけど、いつからか、本を読むことも、映画を観ることも、人と会うことさえも、“自分が強くなるために” するようになってしまった気がする。

なんで強くなりたいかというと、怖いからだ。

会ったことのない人や、経験したことのない事柄が怖いから、言葉で塗り固めて先手を打つ。

言葉は魔法だから、うまく積み上げれば耐震性能ばっちりのお城が造れる。


もちろん愛着もあるし、住み心地もいい。

でもたまに、その城を壊してしまいたくなる。

子どものころは城なんてなくても生きていられたのだ。

あの時にできたことが今できないというのはなんともかわいそうな話に思える。


「いつでも同じことが言えそうですよね」


僕が悲しくなったのは、得たものの背後で、失ったもののことを想ったから。



頼んだ料理はどれも美味しく、最後にはチョコレートアイスに黒糖ソースがかかった無敵のパフェを食べ、大満足で店をあとにした。

あの店が本当にあったかどうかは、もう一度行ってみないとわからない。


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